奥野修司「魂でもいいから、そばにいて―3・11後の霊体験を聞く」
「霊体験」と聞くとオカルトか特別な現象のようだが、ここに記録されているのは、人が大切な誰かを失った時にそれをどう受け入れて生きていくかという、紛れもない現実だ。
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読んだ本の記録。
奥野修司「魂でもいいから、そばにいて―3・11後の霊体験を聞く」
「霊体験」と聞くとオカルトか特別な現象のようだが、ここに記録されているのは、人が大切な誰かを失った時にそれをどう受け入れて生きていくかという、紛れもない現実だ。
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色川武大という信仰からは最も遠いイメージを持つ作家が綴る、旧約聖書についての随想。
阿佐田哲也の筆名でも知られる著者は、博奕で生きていた若い頃、偶然に近いきっかけで旧約聖書を手に取り、人間の叡智に恐れを抱いたという。
“私の旧約聖書” の続きを読む
「夢の遊眠社」時代の代表作の一つ。再演を重ね、今年8月には「野田版・桜の森の満開の下」として歌舞伎化もされた。
初演は1989年。贋作(がんさく)ではなく「にせさく」と読む。ただの模倣やパロディーではなく、そこからさらにもう一歩ずれた作品であることの表明だろう。坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を下敷きとした作品だが、野田秀樹らしい言葉遊びとスピード感溢れる展開で、要約は難しい。
“贋作・桜の森の満開の下” の続きを読む
読書の喜びは、知らないことを知ることと、それ以上に、自分が感じていること――悲しみや苦しみも含めて――を他の誰かも感じていると知ることの救いの中にある。同じ考えでなくてもいい。自分以外の人も、自分と同じようにいろいろなことを感じ、考えている。それに気付くことが読書の最大の価値だと思う。
著者はライフヒストリーの聞き取りを重ねてきた社会学者。といってもここに書かれているのは、分析や仮説ではない。路上から水商売まで、さまざまな人生の断片との出会いの中で、著者自身が戸惑い、考えたことが柔らかな文体で綴られている。
“断片的なものの社会学” の続きを読む
誰かの人生を追体験できる小説は少ない。優れた作品であっても、大抵は一歩引いた立場からの鑑賞にとどまる。
舞台は大正から昭和にかけての東北。秋田・阿仁のマタギの家に生まれた松橋富治は、身分違いの恋で村を追われ、猟を捨て採鉱夫となる。やがて、そこで知り合った弟分の村に落ち着き、狩猟組の頭領としてマタギの生活に戻る。
“邂逅の森” の続きを読む
「オーガストはふつうの男の子。ただし、顔以外は」
遺伝子疾患で“特別”な顔に生まれた少年オーガストを巡る物語。5年生から学校に通い始めたオーガスト、その姉、友人らの視点を通じて一年が語られる。顔を見て驚き、目をそらす子。菌がうつると陰口を叩いたり、直接いやがらせをする子。やがてオーガストとの距離を巡って、クラスは分裂してしまう。
平易な文章で綴られながら、本人や周りの大人、級友たちの感情が丁寧に描かれ、その人間関係の中でオーガストだけでなく、一人一人が成長していく。おそらくこの本を手にする多くの人が、誰か一人ではなく登場する全ての人物、立場に自分を重ねてしまうだろう。
“ワンダー Wonder” の続きを読む
監察医として30年あまり、さまざまな事件・事故の変死体と向き合ってきた著者によるエッセイ。死者の人権を守る仕事としての監察医の役割についてよく分かる。
“死体は語る” の続きを読む
ロスタン「シラノ・ド・ベルジュラック」
渡辺守章訳 (光文社古典新訳文庫)
フランス演劇の代表作の一つで、映画、ミュージカルから翻案まで数多くの派生作品を生んだ傑作。詩人で哲学者、剣士と多才だが、容姿だけに恵まれなかった心優しき主人公シラノ・ド・ベルジュラックのキャラクターがとにかく魅力的。
“シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)” の続きを読む
赤松啓介は1909年生まれ。左翼運動で投獄された経験を持つ反骨の民俗学者。本書は「非常民の民俗境界」として88年に刊行されたもので、性風俗、祭り、民間信仰を中心としたエッセイ風の論考集。
名著「夜這いの民俗学」などでお馴染みの夜這いの話題から、祭りや民間信仰と性の解放の密接な関係など、内容は多岐にわたる。その根底に、既存の民俗学への不満と、学問の名を借りて共同体を体系化、組織化しようとする国家や権力への不信がある。
“性・差別・民俗” の続きを読む