ファミコンとその時代

上村雅之、細井浩一、中村彰憲「ファミコンとその時代」

ビデオゲームの誕生から、ファミコンの登場、流行まで。主著者の上村雅之氏はファミコンの開発者の一人であり、まさにテレビゲームの正史と呼べる一冊。社会、経済の変化を扱った読み物としても非常に読み応えがある。ファミコンの発売30周年を迎えた2013年の刊。ファミコン世代にとっては、自分たちの時代を客観視するためにも必読の一冊。
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あすなろ物語

井上靖「あすなろ物語」

自分が何者にもなれないのかもしれないという現実を、人が初めて見つめるのはいつのことだろうか。

「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって!」

翌檜(あすなろ)の名は「明日は檜になろう」という言葉から来ているという。明日は何者かになろうと夢見る青年たちの姿を描く井上靖の初期の代表作。六つの短編で、少年・鮎太の成長を綴る。
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夏の砦

辻邦生「夏の砦」

辻邦生の初期の長編。中世のタピスリに惹かれ、北欧で染織工芸を学ぶ支倉冬子の魂の遍歴を、彼女が失踪する前に残した膨大な手記と手紙から浮かび上がらせる。

知人男性の視点を通して一筋の物語になってはいるが、おそらくこの小説は、どこか一部分を切り出しても成立するだろう。著者自身の死生観や芸術論が、作品の隅々にまで刻み込まれている。
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とんでも春画 妖怪・幽霊・けものたち

鈴木堅弘「とんでも春画 妖怪・幽霊・けものたち」

江戸時代、春画は決して異端の芸術ではなく、大衆的な広がりを持った文化だった。2015、16年に東京・京都で春画展が開かれ、春画に対する注目が高まったが、メディアで紹介される春画は“常識的”なものが多い。しかし、性的なタブーの少なかった近世以前の日本において、人々の想像力が現代の常識の枠内に収まっているはずがない。少しでも目立とうとする芸術家と版元の世界においては言うまでもなく、葛飾北斎には有名な「蛸と海女」があるし、男色、獣姦、幽霊・妖怪との交わりなど、ありとあらゆる営みが春画には描かれている。

本書はそうした多彩な春画約130点を掲載。表紙の骸骨は歌川国芳(股間の骨に注目)。
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息子と狩猟に

服部文祥「息子と狩猟に」

登山家で猟師でもある著者の初の小説。命を巡る普遍的な問いを突きつけてくる表題作と、高峰での極限状態を描いた「K2」の2編を収録。

小学6年生の息子を連れて鹿狩りに来た週末ハンターが、死体を埋めに来た詐欺グループの男と遭遇する。男は息子を人質に取り、自分の手元には猟銃がある。獣の命を奪うのが許されるなら、なぜ殺人犯の命を取ることは許されないのか。

個人的にハンターの最後の選択には共感しないが、それでも自分ならどうするかという問いからは逃げられない。読み手を物語に巻き込み、当時者にしてしまう力を持った問題作。
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しあわせの理由

グレッグ・イーガン「しあわせの理由」

「ディアスポラ」に続いて、グレッグ・イーガンをもう一冊。

表題作を含む9編を収録した日本オリジナルの短編集。「ディアスポラ」は物理学や宇宙論の知識が無いと理解できない描写も多かったが、こちらは特定のアイデアや疑問をもとに発展させた作品が中心で、SFになじみのない読者でも取っつきやすい一冊となっている。
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ディアスポラ

グレッグ・イーガン「ディアスポラ」

ちょっと何言ってるか分からないという小説はいろいろあるけれど、グレッグ・イーガンの代表作とも言えるこの「ディアスポラ」もなかなか。といっても文学的な表現が意味不明というのではなく、文章は明解だが、膨大な物理学的、宇宙論的考察に自分のような文系人間は全くついていけない。ハードSFの極北。

肉体を捨てて自らをソフトウェア化し、ポリスと呼ばれるネットワーク上で生きる人々が人類の主流を成す世界で、地上には一握りの肉体人が遺伝子的改変を経て残っている。この設定だけなら古典的だが、イーガンの想像力はここから遥か遠くへと旅をする。
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夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

カズオ・イシグロ「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」

カズオ・イシグロの短編集。音楽をめぐる五つの物語。

「わたしを離さないで」などを読むと長編の作家という気がするし、実際に発表されている作品もほとんどが長編だが、この作品集を読むと、その魅力は作の長短には関係ないということが分かる。珠玉の一冊。
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花のさかりは地下道で

色川武大「花のさかりは地下道で」

文章に触れ、この人のようなまなざしを持ちたいと感じる人が何人かいる。

ここ数年、色川武大の作品に強く惹かれる。雀聖・阿佐田哲也としての顔が有名だが、本名の色川で発表した作品群には、人生や社会に対する諦観が冷たさではなく、どこか温かなまなざしで綴られている。

「花のさかりは地下道で」は幼年期や戦後まもない頃の思い出を中心とした12本の短編集。表題作には、地下道で寝起きしていた頃に知り合った「アッケラ」という娼婦のことが書かれている。
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