広田弘毅 ―「悲劇の宰相」の実像

服部龍二「広田弘毅 ―『悲劇の宰相』の実像」

「落日燃ゆ」では、広田弘毅は筋の通った人物で、傑出した外交官として描かれるが、外相就任後の動きを丁寧に見ていくと、彼も典型的な、平凡な政治家の一人に過ぎなかったという印象を受ける。協調外交や平和主義への志向は確かに強かったのだろうが、時流には逆らえなかった、というより、近衛内閣のポピュリズムのもとで時流に対して逆らおうとしなかったのではないか。

もちろん、行動や発言を丁寧に追っていくと、凡庸ではない人間なんて歴史上にいない。というより、人の凡庸さを見つめるのが歴史学だろう。そうした意味で、この本に書かれている広田の“凡庸さ”は、現代の政治を考える上でも重要な視座と言える。

マクベス

シェイクスピア「マクベス」

四大悲劇の一つとされているけど、「リチャード三世」のようなスピード感と鮮やかさがあって読みやすい。リチャード三世は悩まず破滅の道を走るが、マクベスは苦悩し、魔女の予言に囚われてしまう。マクベスと夫人の会話は1人の人間の内面のやりとりのよう。夫婦の立場が入れ替わる構成も巧み。シェイクスピア作品の中でも、物語の見せ方という点で、特に現代的に感じる。

風姿花伝

「風姿花伝」

観阿弥の教え、世阿弥の書。

世阿弥は能の美を花に喩え、花を知るために種=技芸を知るよう説く。

「花のあるやうをしらざらんは、花さかぬ時の草木をあつめてみんがごとし」
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ミーナの行進

小川洋子「ミーナの行進」

ミーナと過ごした少女時代を回想した、静かで、とても優しい物語。昔からあるような設定で、起伏も無ければ、文体にも癖が無い。全体として在りし日への郷愁が満ちているが、それを全面に出しているわけでもない。それでも、物語から離れたくないと最後の1ページまで思わされる。卓越した描写とストーリーテリング。場面々々に滲む阪神間の空気も魅力的。思い出といううつくしいものを、四の五の言わず大切にしよう、そう思える作品。

演劇最強論

徳永京子、藤原ちから「演劇最強論」

若手〜中堅劇団を中心とした演劇ガイド。以前は全く興味がなかった世界だが、最近足を踏み入れて、他のジャンル以上に今なお創造性豊かな作品が作られていることに驚いた。20世紀を通じて他の表現手法の鉱脈が徹底的に掘られ、停滞感が漂う中、それらの成果がよりプリミティブな芸術である舞台に環流しているのかもしれない。
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兄帰る

永井愛「兄帰る」

多額の金を横領して失踪した兄、幸介が十数年ぶりに帰ってくる。親戚も交えて責任を押しつけ合う中、流され続ける弟、保。“部外者”として正論を吐き続ける保の妻、真弓。人物描写が絶妙で、登場人物の誰にも愛着が持てない一方で、どこか感情移入してしまう部分がある。「正論の怪獣」の真弓が最後に揺らぐことで、正論なんてそもそも幻想ではないのか、誰もが欺瞞の中で生きているなら、嘘つきの幸介が一番筋が通っていて、だからこそ一番やっかいなのだ、そんな気さえしてしまう。

地図を創る旅 青年団と私の履歴書

平田オリザ「地図を創る旅 青年団と私の履歴書」

自ら「地図を創る旅」と言うように、著者は、方法論を確立し、それを新たなオーソドックスとして広めることにかなり意識的に取り組んできた。若手へのワークショップや地域劇団とのネットワーク作りに積極的に取り組んできたこともあって、演劇界では、青年団の動員や評価だけでは計れない存在感がある。物を書くべくして育った青年が、何となく始めた演劇になぜここまでこだわってきたのか。大学時代の事をこれほど鮮やかに振り返ることができるのは、自らの歩いている位置に対して常に意識的だったからなのだろう。読み物としてもとても面白い。

女形とは ‐名女形 雀右衛門

渡辺保「女形とは ‐名女形 雀右衛門」

歌舞伎の特徴でもある女形。男が女を演じること自体は神事に由来する芸能では珍しくないが、現代にも根強く残るのには、そこに何か人をひきつけるものがあるということだろう。若さを失い、晩年になるほど輝きを増す、グロテスクと紙一重の美しさ。名女形と呼ばれた四代目中村雀右衛門の当たり役、所作の一つ一つを解きほぐしていく。歌舞伎初心者の自分にとっては見たことがない演目ばかりで正直細かな部分までは分からないが、女形の美しさがどこから来るのかおぼろげに伝わってくる。

きことわ

朝吹真理子「きことわ」

不確かな過去の記憶。感傷を言葉を重ねて表現したような小説。貴子と永遠子の視点が交錯し、過去と現在、現実と夢が溶け合う。今自分が読んでいる視点がどこにあるのか分からなくなる。やや試作のような雰囲気があるが、技巧的で文章も美しい。巻末の町田康の解説が素晴らしい。