イスラム革命後のイラン北西部マハバードを舞台に、独立を求めて戦うクルド人ゲリラと、ハジ(巡礼者)と呼ばれた日本人二人の物語。著者の代表作とされる長編であり、スケールの大きさとフィクションとは思えない緻密な描写に圧倒される。
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言い寄る
恋愛小説の大家の70年代の作品。当時はこれが自立した新しいヒロイン像だったのかもしれないけど、今読むとどうだろう。小説や物語の受け止めに性差はあまり無いと思いたいけど、この作品は男女や過去の恋愛経験で感じ方が大きく変わるかもしれない。
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すべてがFになる
20年ほど前のベストセラーを今さらながら。
舞台は孤島の研究所。幼少期に両親を殺し、隔離されたまま研究を続ける天才少女と、その突然の死を巡って物語は進む。プログラミングや理系の学問の素養のある人は、タイトルや序盤の会話に隠されたヒントに気付くかもしれない。
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日の名残り
1989年のブッカー賞受賞作。
語り手の執事スティーブンスは、四角四面の、現代ではかえって慇懃無礼に感じられるような“英国執事”。ことあるごとに執事としての品格を延々と語り、新たな主人であるアメリカ人に合わせるために、真剣にジョークを研究するさまがその性格をよく表している。
ある日休暇を貰った彼は、かつて同じ屋敷に勤めた元同僚の女性を訪ねて小旅行に出かける。その旅の風景と、過ぎ去った日々の回想が交互に綴られる。
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怪獣記
トルコ東部のワン湖に棲むという謎の巨大生物ジャナワールの真偽を探る旅。
コンゴを舞台にした「幻獣ムベンベを追え」など、UMAを巡る旅を続けてきた著者だが、ジャナワールの存在には否定的で、これまで調査対象とは考えていなかったという。それが、なぜかトルコの研究者による詳細な研究書を日本の東洋文庫で見つけ、興味を持ち始める。その研究書にはジャナワールを目撃した人物の住所一覧までもが載っており、真実を確かめにトルコへ飛ぶ。
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ぴんぞろ
表題作は、受賞作の無かった2011年上半期の芥川賞候補作。文藝春秋の選評掲載号に候補作6本を代表して掲載されたので、相対的に評価が高かったのだろう(この回の他の候補作は円城塔「これはペンです」、本谷有希子「ぬるい毒」など)。
短めの中編小説、あるいは長めの短編小説というくらいの分量だが、前半の浅草でのチンチロリンの話から、後半は場末の温泉街のヌード劇場へと物語の場所が移り変わり、ややロードムービーのような雰囲気も。社会の底辺を描きながら、決してアクの強い作風ではなく、むしろ筆はさらさらと群像の表面をなでるように進んでいく。
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唐版 滝の白糸 他二篇
唐十郎の作品は10本くらい見ていて、小説(「佐川君からの手紙」)も読んでいるが、戯曲に触れるのは初めて。支離滅裂でかみ合わない会話の連続なのに、不思議と引き込まれてしまうのは台詞のテンポの良さと、その響きの小気味よさ。
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何でも見てやろう
旅行記の古典。60~70年代、本書を読んで多くの若者が海を渡った。
著者は1959年にフルブライト留学生として米国に渡り、その帰途、欧州からアジアまで各地を訪れた。当時はまだ海外旅行が珍しかった時代。貧乏旅行で計22カ国を訪れた著者の記録は、同世代の若者から大きな衝撃と羨望を持って受け止められたことだろう。本書を読むと行き当たりばったりの奔放な旅のように思えるが、死後に見つかった著者のノートには、綿密な準備の跡と計画がびっしり書き込まれていたという。
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血と夢
日本アルプス―登山と探検
W.ウェストンの名前は山歩きをする人間なら一度は聞いたことがあるだろう。明治時代の日本に滞在し、アルプスを中心に各地の山々を踏破した。日本の山の魅力を世界に知らせるとともに、修験道などの宗教登山ではない“趣味”としての登山を日本に浸透させた。
“Mountaineering and exploration in the Japanese Alps(日本アルプスの登山と探検)”はその代表作で、初めて槍ヶ岳や立山などを旅した時の情景が克明に記録されている。
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