戻り川心中

連城三紀彦「戻り川心中」

短編ミステリーの金字塔と言われるだけあって、見事な完成度。詩情豊かで流麗な文章。五編とも花にまつわる話で、特に歌人を主人公に据えた表題作が美しい。トリックや動機は少し大味かもしれないが、それを叙情的な文章と構成が飲み込んで不自然さを感じさせない。

孤島パズル

有栖川有栖「孤島パズル」

直球の孤島もの。話しの進め方、手がかりの出し方が絶妙で、それほど犯人当てに興味が無い自分のような読者でも、ついつい考えこんでしまう。パズルというタイトルが表しているように、トリックよりロジック。驚きは無いが、引き込まれる。

精霊の守り人

上橋菜穂子「精霊の守り人」

久しぶりにファンタジーを読みたいと思って、読んだことの無かった著者の代表作を。ストレートな異世界ファンタジーだけど、その背景に文化人類学的、構造主義的な骨太の世界観があって、現実のこの世界を描いているとも感じられる。大人になるとなかなか夢中になれるファンタジーって見つからないけど、これは3年くらい前に読んだル=グウィンの「西のはての年代記」に劣らぬ面白さ。

蒲田行進曲

つかこうへい「蒲田行進曲」

スターの「銀ちゃん」と、銀ちゃんに心酔する大部屋役者「ヤス」、銀ちゃんの女である「小夏」。3人の入り組んだ関係を描いた作品だが、とにかく人物造形が圧巻。傍若無人に振る舞いつつ、やたらと細かくて実は気が小さい銀ちゃん。いたぶられるほど、それを信頼だと喜ぶヤス。読んで笑いつつも、支配-被支配者が互いに依存し合う似たような現実の人間関係を思い浮かべ、胸が痛くなる。結局、どちらが本当に相手を支配しているのか分からない。もともと戯曲として書かれた作品だけど、小説としても完成されている。

戦場の軍法会議―日本兵はなぜ処刑されたのか

NHK取材班、北博昭「戦場の軍法会議 ―日本兵はなぜ処刑されたのか」

NHKのドキュメンタリーの書籍版。戦時中の軍法会議についての証言は極めて少なく、関連文書も終戦時に組織的に焼却されてしまったため、残っていない。法務官の生き残りの多くは戦後法曹界のエリートになっていて(このあたりは医学界の闇とも似ている)、口を閉ざしてきた。
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怪しい来客簿

色川武大「怪しい来客簿」

戦前から戦後間もない時期の、社会の片隅のつれづれ。エッセイのような筆致で書かれた連作短編。

これは諦観なのか、寛容なのか。著者のまなざしは冷め切っていると同時に、とても優しい。不器用な自分に限りない劣等感を抱えつつ、それを観察者の冷めた目で見てしまう。屈折した人間だけが持てる温度。

医師の過失に「ミスだとしたら、私はこれまで他人のミスに対して寛大でなかったことは一度もなかった。その基本方針をまげるわけにはいかない」「自分であれ他人であれ、一度ミスをおかしたら、助けてくれるものは何もないのだという現実に誰でも直面してしまう。だから寛大にならざるを得ない」。

ユーモアとともに、著者の人を伝える作品集。

黒い雨

井伏鱒二「黒い雨」

大部分が日記体で、小説として奇をてらったところは一切無く、だからこそ読み物としては忍耐がいる(原典となる日記があるので、一般的な小説とはそもそも成り立ちが違うけど)。文章は、明るくも、暗くもない。人物描写もフラットで、(表面的には)何の思想も無い。そこに地獄が描かれているのに物語の展開は劇的とはほど遠く、単調ですらある。だからこそ、原爆の惨禍は地獄を見せて終わったのではなく、地獄の中でも日常は続いていくということを強く感じさせる。

恋するソマリア

高野秀行「恋するソマリア」

「謎の独立国家ソマリランド」の続編。ソマリアに恋して、その日常生活を知ろうと四苦八苦。外国人どころか男子禁制の一般家庭の台所で料理を学び、南部ソマリアでは、アル・シャバーブとの内戦の最前線へ。

著者のルポは「アヘン王国潜入記」「西南シルクロードは密林に消える」などミャンマーものが白眉の出来だが、ソマリア紀行もそれらに並ぶ読み応え。政治や歴史に触れつつ、決してそれが主題とならない。見知らぬ土地で人の話を聞いて、いろいろなことを知り、先入観が覆されていく。本を通じて旅のそんな感覚を思い出させてくれる。こんな旅はできないけど。