パラレルワールド

ミチオ・カク「パラレルワールド ―11次元の宇宙から超空間へ」

宇宙論入門。始まりのゆらぎから、遥か未来の宇宙の終焉まで。量子論、相対性理論、ひも理論を丁寧に解説しつつ、SF小説や古典など大量の文芸作品を引用していて、著者の博識ぶりに驚かされる。
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三月の5日間

岡田利規「三月の5日間」

ここ10年ほどの演劇の方向性を決定づけたとまで言われる作品。内容的には一夜の関係(正確には四泊五日だけど)を語っているだけだが、その語り口が既存のどのスタイルとも違う。で、で、と繋いで語順もばらばら。かなり口語(いわゆる“口語体”ではない)に近いセリフ。「~ってのを今からやります」「~っていう話で」が頻繁に挟まれ、語り手が一定しない。役と役者の関係も含めて一般的な戯曲、演劇のスタイルが解体されている。似たような試みは小説でもあると思うけど、演劇がここまで鮮やかに決めてしまうとは。

才能の森 ―現代演劇の創り手たち

扇田昭彦「才能の森 ―現代演劇の創り手たち」

寺山修司、唐十郎から、井上ひさし、安部公房、野田秀樹、杉村春子や朝倉摂まで24人。長く演劇の取材をしてきた著者だけに、それぞれの演劇人の人柄まで伝わってくる文章。

特に印象に残ったのが、多国籍の俳優による舞台に70年代から取り組んできたピーター・ブルックの言葉。

「演技の命は相違だからです。(中略)非常に異なった人たちが一緒に芝居をしているのを見ると、観客の中にある何かが、単純な形で開かれるのです。このため観客は、人と人との違いを喜びとともに味わうことができます。これは人種差別の逆です。人種差別とは憎しみをもって人と人との違いを見ることが基本にありますからね」

今でこそ、映画でも舞台でもキャストの多様性が珍しくなくなったが、その先駆性に驚かされる。憎しみをもって違いを見る、差別の本質をこれほど簡潔に言い表した言葉はない。

ボクには世界がこう見えていた ―統合失調症闘病記

小林和彦「ボクには世界がこう見えていた ―統合失調症闘病記」

統合失調症の患者の手記。闘病記と言うよりは、幻聴、幻覚が本格的に始まる前の臨界期のことを書いたもの。

大学を卒業し、アニメーション制作会社に就職した頃から少しずつ、自分こそが世界の中心という妄想に陥っていく。些細な偶然に深遠な意味を読み取り、新聞記事やラジオの言葉が自分宛のメッセージと思い込んで、世界平和への使命感に燃える。脈絡の無い思考の中で〝世界の真実〟を掴んだ気になる。
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日本宗教史

末木文美士「日本宗教史」

記紀神話に始まり儒教や思想にも触れていて、どのように日本人の“古層”が形成されてきたか、日本精神史とも言える充実した内容。

個人的に、仏教と神祇信仰は二本柱のように独立して存在し、その中間に神仏習合の領域があると考えていたが、実際には両者は互いに影響しあい、大きく変容してきた。特に日本古来の伝統と考えられがちな神祇信仰が、仏教の影響で形成されてきた過程が興味深い。
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ヒッキー・カンクーントルネード

岩井秀人「ヒッキー・カンクーントルネード」

初めてハイバイの舞台を見た時、演劇ってこんなに面白いのか、と思った。
ハイバイは決して奇抜で新しいことをしている劇団ではないが、舞台に小説や映画では表現し得ない奥行きが感じられた。

そのハイバイを主宰する岩井秀人の初小説。再演を重ねている劇団代表作の小説化で、原作の面白さは折り紙付き。そこに小説ならではの面白さも加わった。
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殺戮にいたる病

我孫子武丸「殺戮にいたる病」

これぞ叙述トリック!というような巧みなミスリード。読み手を騙すという一点に向けて物語が進む。犯人の名前も、犯行の様子も描かれているのに、想像力の盲点を突かれてしまう。読み手と犯人ではなく、読み手と語り手の知恵比べ。

ただ殺人の描写がグロテスクすぎて人には薦めにくいし、物語そのものは本格的な推理小説を求める人には物足りないかもしれない。あっと驚かされたい人は是非。

悪人

吉田修一「悪人」

殺人事件を描きながら、ひとりとして純粋な悪人はいないし、一方で誰もが醜悪。 ドキュメンタリーを見ているような群像劇。登場人物が皆、俗っぽく、だからこそ他人事と思えないリアルさがあるし、自分の見たくない面を見せられているような嫌悪も湧いてくる。

人気作家ながら「パークライフ」しか読んだことが無かったけど、これを機に他の作品にも手を出してみようという気になった。