日本の面影 ―ラフカディオ・ハーンの世界

山田太一「日本の面影 ―ラフカディオ・ハーンの世界」

ラフカディオ・ハーンの半生を描いたドラマの脚本。名シーンが多く、話の見せ方がとにかく巧い。日本が過激な欧化に突き進んだ明治期に来日し、消えゆく日本の面影を愛したハーンが、魅力的に、時にユーモアを交えて描かれている。
“日本の面影 ―ラフカディオ・ハーンの世界” の続きを読む

「菅原伝授手習鑑」精読 ―歌舞伎と天皇

犬丸治「『菅原伝授手習鑑』精読 ―歌舞伎と天皇」

道真伝説を題材とした作品の代表ともいえる「菅原伝授手習鑑」の読み解き。ただの解説にとどまらない刺激的な内容で、予想外の面白さ。

やがて神となる菅丞相は、物語の序盤から無謬で不可侵の存在として描かれ、全てがそこへと捧げられる。奇跡は菅丞相には起こっても、周りの人間には起こらない。

特に、忠義のために我が子を犠牲とする寺子屋の段。これを異常ととるか理想ととるかは、時代を映す鏡とも言える。夫婦の「せまじきものは宮仕え」という嘆きは、明治以降、天皇制が強化される中で「お宮仕えはここじゃわい」と書き換えられる。夫婦の苦しみは、主君への絶対的な忠誠を美徳とする時代に飲み込まれてしまった。

一見すると忠義が全てという物語は現代の目から見れば異常だが、それでも心を動かされるのは、随所に人間性の発露があるからだろう。今再び「せまじきものは~」の嘆きが名場面として上演される時代となったことを幸せに思う。

桂米朝 私の履歴書

「桂米朝 私の履歴書」

戦後、ほぼ消滅しかかっていた上方落語を復興させた桂米朝の自伝。

落語が好きで仕方がなかった少年の半生が、ほぼそのまま上方落語の戦後史になった。テレビの普及で落語家が重宝されるなどの外的要因もあったが、この人がいなくては、現在の上方の芸能、さらに言うなら笑いの文化そのものがどれほど変わっていただろうか。学究肌で落語への情熱に溢れながら、それらすべてをユーモアで包むような人柄が伝わってくる。

松緑芸話

「松緑芸話」

二代目尾上松緑の芸談。七代目幸四郎の三男で、長兄が十一代目團十郎、次兄が八代目幸四郎。六代目菊五郎に預けられたことで、音羽屋と、さらには九代目團十郎の芸を継ぐことになる。前半は幼少期から戦争体験を経ての半生記。兄たちの人柄など貴重な証言で、かつ面白い。中盤からは各演目の見せ方の工夫など。「一谷嫩軍記」の團十郎型、芝翫型の違いなどが興味深い。
“松緑芸話” の続きを読む

歌右衛門の六十年 ―ひとつの昭和歌舞伎史

「歌右衛門の六十年 ―ひとつの昭和歌舞伎史」

舞台では歌舞伎の華やかな面を、舞台裏では激しい権力闘争の面を、2代にわたって体現した歌右衛門。

団菊左亡き後の梨園を牛耳った五世。師でもある吉右衛門とコンビを組み、その後は幸四郎、勘三郎と競い、やがて戦後の歌舞伎界に君臨した六世。愛という表現がそぐわないほど、当然のように芸の世界に生き、執着した。
“歌右衛門の六十年 ―ひとつの昭和歌舞伎史” の続きを読む

景観写真論ノート 宮本常一のアルバムから

香月洋一郎「景観写真論ノート 宮本常一のアルバムから」

宮本常一が撮った風景写真と、その景観を読み解いたメモをまとめた本。

田畑の形がどうなっているか、住家が密集しているか、分散しているか、山肌に何の木が植えられているか…景観にはその土地に生きた人々の暮らしの歴史が刻まれている。大学生の時に宮本の「空からの民俗学」を読んでそのことに気付かされて以来、景色を見る目が多少なりとも変わったのだが、その宮本のまなざしがよく分かる一冊。
“景観写真論ノート 宮本常一のアルバムから” の続きを読む