蛍の森

石井光太「蛍の森」

ハンセン病に対する苛烈な差別を正面から描いた石井光太の小説。一歩間違えばただ悪趣味なだけになってしまいかねない題材だが、四国の山中にあったカッタイ寺を舞台に、療養所に隔離されることを拒み、社会から姿を消したことで歴史に残らなかった存在を蘇らせることに成功している。
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異界を旅する能 ワキという存在

安田登「異界を旅する能 ワキという存在」

能で、他の芸能と比較して特に際立つのがワキという存在。大抵は漂泊の旅をしていて、シテと出会う。その後はワキ座でほとんど動かず静止していることが多い。シテ=異界が舞台上に現れる触媒となるワキの存在を考察することは、そのまま能(夢幻能)という芸能の本質に迫ることになる。
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大放浪 ―小野田少尉発見の旅

鈴木紀夫「大放浪 ―小野田少尉発見の旅」

フィリピン・ルバング島から小野田少尉を帰国させた青年、鈴木紀夫。60年代末、学生運動に馴染めず海外に出た、と言えば聞こえがいいが、実際は幼さに任せた大放浪。行く先々で奔放に振る舞い、人の世話になり、時に迷惑をかけつつ、自分は特別なことをしているという感覚は抜け切らない。藤原新也や沢木耕太郎に近い世代だが、「印度放浪」や「深夜特急」に比べ、ずいぶんと自分に正直で痛快な旅行記。
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夏の水の半魚人

前田司郎「夏の水の半魚人」

小学5年生の夏を描いた中編。派手な出来事は何も怒らない、淡々とした文章だけど、ふとした瞬間の興奮、喜び、驚き、いらだち、絶望、妙なこだわり……小学生のころ、こんな感じだった気がして、思わず引き込まれた。

大人になるにつれて人は記憶が増え、一つ一つの出来事とその時の感情へのアクセスは減っていく。だからこそ、大人の書く物語で子供はあまりにも単純な存在になる。でもきっと、子供のころも、稚拙なりに、複雑な思考をしていた。参照する記憶が少ないからこそ、色々な出来事を大きく感じていた。そんな日々は下手なフィクションよりも、本人にとっては力を持った物語だったはず。町田康の解説が良い。

雪男は向こうからやって来た

角幡唯介「雪男は向こうからやって来た」

雪男捜索のルポというよりも、雪男が実在すると確信し、生涯をそれに費やした男たちの物語。著者は08年の雪男捜索隊に参加しているが、その時の記録より、それ以前に雪男の姿や足跡を目撃したことがきっかけで、死ぬまでヒマラヤに通い続けることになった人々の話が印象深い。

人がふとしたきっかけで信仰の道に入るように、雪男は向こうからやって来て、彼らを離さなかった。「空白の五マイル」は冒険そのものの凄みで読ませたが、UMAのような読む前に結果が分かっている題材をここまで読ませるのは相当な筆力。大きさや外見はともかくとして、ヒマラヤに2足歩行する未知の動物=雪男はいるのかもしれないと思わされた。

ゴドーを待ちながら

サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」

ただひたすらゴドーを待つ2人。ゴドーが何者なのか、2人は何者なのかは全く説明されず、意味のない会話が延々と続く。途中わずかに別の登場人物も絡むが、何かが起こってほしいという期待は裏切られ続ける。

不条理劇の代表のように言われているけど、シンプルに人生や家族の寓話のように読めばそれほど難解ではない。「Godot」は「神」でも「死」でも「ドラマ」でも何でもいい。難解ではないが、いくらでも解釈できるのが難しく見せている。それも人生らしい。

ムッシュ・クラタ

山崎豊子「ムッシュ・クラタ」

戦前、戦中を通じてフランス文化に心酔し、「ムッシュ・クラタ」と揶揄されたある新聞記者。浮世離れしてキザなだけに思えた人物像が、知人や家族の回顧を通じて徐々に深みを増していく。

人の本質は一人では捉えられないということを強く感じさせる表題作ほか、どれも味わいがある短編。社会派、大作のイメージが強い山崎豊子だが、小品も素晴らしい。どの短篇も書こうと思えば大長編にできそうな奥行きがあって、この人は書くべきものをどれだけ持っていたのだろうと思わされた。

奴隷になったイギリス人の物語

ジャイルズ・ミルトン「奴隷になったイギリス人の物語」

欧州各地からモロッコに連れ去られ、奴隷となった人々の記録。黒人奴隷の影に隠れた歴史の盲点。100万という数字や記述の正確さは判断できないが、この事実を抜きにしては、当時の白人のイスラム観というか、ムーア人観は理解できないのだろう。
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