生きてるものはいないのか

前田司郎「生きてるものはいないのか」

日常を描きながら、登場人物が理由も無く次々と死んでいく。中盤以降は延々と「死に方」だけが描かれる。とはいえ、悲愴的なドラマではない。最後の言葉は中途半端で、誰もが見せ場など無くあっさり死んでいく。死体は舞台上に積み重なっていく。

何となく、人は自分の死に方は選べる気がしている。ここに描かれる死は例外無く滑稽だが、だからこそ、死に方は選べないという事実を突きつけられる。

生ける屍の死

山口雅也「生ける屍の死」

  

死者が次々と蘇るという世界設定からして異色のミステリー。主人公が一度死んでからが本番という物語もぶっ飛んでいる。死者が蘇るため、アリバイも、証拠も、さらには動機も、全てが発想から変わってくる。普通のミステリーに飽きたという人には非常におすすめ。
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日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?

田中康弘「日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?」

マタギの取材を長年続けてきた著者が、西表島の猪から礼文島のトドまで、各地の猟に同行したルポ。日本人は決して農耕一色の民族ではない。むしろ何でも食べる。猟の方法も興味深いが、何より、その後の解体、調理の生き生きとした描写に引き込まれた。
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山怪 山人が語る不思議な話

田中康弘「山怪 山人が語る不思議な話」

阿仁のマタギから、四国、九州の猟師まで、山に生きる人々から聞き取った山中での不思議な話。表紙は少しおどろおどろしいが、怪談や民話として脚色・完成されたものではなく、シンプルな体験談集。謎の光や音、声、神隠し、延々と続く道、突如迷い込んだ不思議な空間……。特にオチも無い極々短い話ばかりだが、とてもリアル。現代でも人影の絶えた山奥に入れば、人里とは違う空気を感じる。科学的には錯覚や神経症のようなものかもしれないが、つい最近まで、狐や狸に化かされてしまう空間は確かに存在したのだろう。

天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎

長谷部浩「天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎」

天才・中村勘三郎と、名人・坂東三津五郎。同い年で幼少期から切磋琢磨し、歌舞伎界の次代を担うことが期待されながら夭逝した二人。歌舞伎界屈指のサラブレッドの血筋に生まれ、六代目菊五郎と初代吉右衛門の芸を継ぐ勘三郎は、幼い頃から天才であることを求められてきたのだろう。一方、脇役の祖父と父の下に生まれた三津五郎は、守田座座元の系統に連なる矜持を持ちながら、芸域を広げて名人としての評価を確立していく。著者とのプライベートなやりとりを交えつつ、二人の生涯が交互に綴られている。天才と名人の芸だけでなく人柄も伝わってくる良書。

染五郎の超訳的歌舞伎

市川染五郎「染五郎の超訳的歌舞伎」

歌舞伎入門というよりは、名作、新作のあらすじ解説と、それぞれの演目や役に対する思いを綴ったもの。これほど分かりやすい歌舞伎本は無いと言っていいくらい読みやすい。お芝居ごっこをしていた幼少期の思い出から、劇団☆新感線への客演、思春期の妄想が結実した新作歌舞伎の話まで。自ら歌舞伎が好きなのが弱点と言うくらい、歌舞伎にまっすぐ育ってきた人柄が伝わってくる。

火花

又吉直樹「火花」

お笑いの世界を舞台にしていること以外はストレートな青春小説(芥川賞の選考会で宮本輝が推したのもなんとなく納得)。自分だけが理解し、尊敬している師匠というモチーフも古典的だが、その師匠との会話を通じて、良い意味で青くさい人生論、お笑い論(創作論)になっていて心に残る。何より、作者が自分自身にとって切実なものを書いていることが伝わってくる。
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