高木彬光「人形はなぜ殺される」
明智小五郎、金田一耕助とともに日本三大探偵といわれる神津恭介。警察にも頼られる天才探偵とワトソン役の推理作家という設定は今読むと古風だが、鮮やかなトリックは60年前の作品ということを全く感じさせない。
多くのミステリーで人形が殺される時、それは見立てに過ぎず、物語の飾りでしか無い。この作品では、「人形はなぜ殺される」のタイトル通り、人形殺しが完璧なトリックの一部として示される。
読んだ本の記録。
水木しげる、荒俣宏「戦争と読書 水木しげる出征前手記」
水木しげるが徴兵される直前に書いた手記。手記そのものは短く、半分以上が荒俣宏による解説で、それも水木の戦争体験というよりは、戦前の若者の教養主義についての内容。目前に迫った死の可能性にどう向き合うか。それは生きる意味にもつながってくる。戦前の青年がとにかくよく本を読み、よく悩んだという事実に驚かされる。
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氏家幹人「江戸の性風俗」
日本社会の性に対する態度はいつから今のようになったのだろうか。常識というのは意外なほど歴史が浅い。著者は、川路聖謨の日記を読み解き、武家で開けっぴろげに下ネタが語られていたことを明らかにする。さらに「肌を合わせる」という言葉がかつては第一義的に精神的な信頼関係を意味し、決して現在のように肉体関係のみを表すのではなかったことを指摘する。当時は肌の接触と心の結びつきは不可分の関係にあった。プラトニック・ラブは現代の文化なのだ。
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角幡唯介「探検家の憂鬱」
エッセイ集。冒険中の下半身事情という軽いものから、なぜ冒険するのか、という根源的な問いに対する考察まで。特に現代における冒険の意味については繰り返し触れている。飛行機で南極点も北極点も行ける時代、冒険は個人的な物語にならざるを得ない。航路の開拓といった大義や、未踏の地への初到達も、もはや無い。なぜ冒険するのか、なぜ旅するのか、なぜ山に登るのか。その問いと行為が切り離せなくなり、旅行記もただ体験を書くだけでは意味がなくなっている。著者の「雪男は向こうからやって来た」「空白の五マイル」は現代の冒険記として秀逸だと感じたが、それがどのような思考に裏打ちされているのか分かった。
山本七平「『空気』の研究」
日本の社会は「空気」と「水」でできている。空気を読むことと、水を差すこと。判断を空気に任せてしまうことは、結局誰も責任をとらないことにつながる。出撃が無謀だというデータが揃っていたのに出撃し沈んだ戦艦大和から現代に至るまで、事例は枚挙にいとまがない。「そうせざるを得なかった」で突き進む日本社会。水を差すことは本質的な反省を含まず、空気の支配を強化している。
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