陰翳礼讃

谷崎潤一郎「陰翳礼讃」

重々しい題から高尚な芸術論かと思われがちだが、基本的には偏屈文士の愚痴エッセイ。

西洋的なもの対する捉え方が結構偏見に満ちていて面白い。西洋人が清潔すぎると言って、「あの白い汚れ目のない歯列を見ると、何んとなく西洋便所のタイル張りの床を想い出すのである」。
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演劇最強論

徳永京子、藤原ちから「演劇最強論」

若手〜中堅劇団を中心とした演劇ガイド。以前は全く興味がなかった世界だが、最近足を踏み入れて、他のジャンル以上に今なお創造性豊かな作品が作られていることに驚いた。20世紀を通じて他の表現手法の鉱脈が徹底的に掘られ、停滞感が漂う中、それらの成果がよりプリミティブな芸術である舞台に環流しているのかもしれない。
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兄帰る

永井愛「兄帰る」

多額の金を横領して失踪した兄、幸介が十数年ぶりに帰ってくる。親戚も交えて責任を押しつけ合う中、流され続ける弟、保。“部外者”として正論を吐き続ける保の妻、真弓。人物描写が絶妙で、登場人物の誰にも愛着が持てない一方で、どこか感情移入してしまう部分がある。「正論の怪獣」の真弓が最後に揺らぐことで、正論なんてそもそも幻想ではないのか、誰もが欺瞞の中で生きているなら、嘘つきの幸介が一番筋が通っていて、だからこそ一番やっかいなのだ、そんな気さえしてしまう。

地図を創る旅 青年団と私の履歴書

平田オリザ「地図を創る旅 青年団と私の履歴書」

自ら「地図を創る旅」と言うように、著者は、方法論を確立し、それを新たなオーソドックスとして広めることにかなり意識的に取り組んできた。若手へのワークショップや地域劇団とのネットワーク作りに積極的に取り組んできたこともあって、演劇界では、青年団の動員や評価だけでは計れない存在感がある。物を書くべくして育った青年が、何となく始めた演劇になぜここまでこだわってきたのか。大学時代の事をこれほど鮮やかに振り返ることができるのは、自らの歩いている位置に対して常に意識的だったからなのだろう。読み物としてもとても面白い。

女形とは ‐名女形 雀右衛門

渡辺保「女形とは ‐名女形 雀右衛門」

歌舞伎の特徴でもある女形。男が女を演じること自体は神事に由来する芸能では珍しくないが、現代にも根強く残るのには、そこに何か人をひきつけるものがあるということだろう。若さを失い、晩年になるほど輝きを増す、グロテスクと紙一重の美しさ。名女形と呼ばれた四代目中村雀右衛門の当たり役、所作の一つ一つを解きほぐしていく。歌舞伎初心者の自分にとっては見たことがない演目ばかりで正直細かな部分までは分からないが、女形の美しさがどこから来るのかおぼろげに伝わってくる。

桂吉坊がきく藝

桂吉坊「桂吉坊がきく藝」

当時20代半ばの若手落語家、桂吉坊が、茂山千作や竹本住大夫、宝生閑、坂田藤十郎、市川團十郎ら、各界の錚々たる名人の話を聞いたもの。芸に対する貪欲な好奇心と真摯な姿勢がうまく話を引き出していて、レベルの高いインタビューとなっている。住大夫の「声でなく息で変える」など、名人芸の神髄が分かる。

ティンブクトゥ

ポール・オースター「ティンブクトゥ」

ホームレス詩人ウィリーと犬のミスター・ボーンズ。ボーンズの視点で語られる話だが、その思考は哲学的で、もはや犬である必然性が無い。そうした設定も含めて決してセンチメンタルにならないのがオースターらしい。あらすじはシンプルだが、安易なメロドラマに堕さない。ウィリーに先立たれたボーンズは新たな環境で生きていこうとするが……。現代のアメリカを書いた作品とも、生の実感と自由を巡る物語とも言える。

演出家の仕事

栗山民也「演出家の仕事」

演出入門と言うよりは、栗山民也が自らの演出手法を通じて、演劇観、さらには世界をどう見るかという哲学を語ったもの。とにかく「聞く」(=見る=読む)と言うことを大切にしている。誰かの話す小さな声、世界の微かな変化。それらを拾い上げることから何かが生まれる。栗山民也は自分らしさや独自性なんて一切気にしない。“自分の中にある何か”を外に発する事ばかりが芸術ではないということが分かる。ただ巻末に収録されている「『ロマンス』演出日記」を読むと、原稿が遅い井上ひさしのもとで働くことが多かったから、そうした姿勢が身についたという気がしなくもない。

歌舞伎 家と血と藝

中川右介「歌舞伎 家と血と藝」

師弟関係や養子縁組が複雑に入り組む歌舞伎の世界。家と血と芸がどう継承されているかを追っただけなのに、むちゃくちゃ面白い。中村勘三郎家が実質17代目に始まることや、松本幸四郎家の存在感、坂東玉三郎の奇跡、何人もの不遇の役者など、名跡がどう受け継がれているかだけではその全貌は見えてこない。著者自身が王朝や帝制という言葉を使っているように、後継問題を通して繁栄と衰退を繰り返すさまは世界史の縮図のよう。こうした舞台の背後の文脈は他の芸術では余分なものと考えられるが、歌舞伎では大向うから掛かる声が役名ではなく屋号や代数であるように、欠かせない要素なのだろう。歌舞伎入門にもお勧めの一冊。