狂気の起源をもとめて ‐パプア・ニューギニア紀行

野田正彰「狂気の起源をもとめて −パプア・ニューギニア紀行」

約30年前にパプア・ニューギニアの高地で精神病患者の診察を行った記録。精神医学の知見や「分裂病」という表記に時代を感じるけど、西洋文明が入り始めた社会を回った紀行文としても読み応えがある。

高地の村では分裂病の患者は少なく、以前から西洋文明と接触があった海岸部では、日本と同じような症状がみられたという。

精神疾患の発生とその慢性化は「自己と他の関係がかなり固定している文化」と「個性の確立を通して社会と直面する文化」の差に影響される。伝統社会では狂気も文脈付けられ、受容される故、一時的なもので終わることが多いのだろう。

蔭の棲みか

玄月「蔭の棲みか」

朝鮮人集落を舞台とした表題作は正攻法の純文学。主人公のソバンの、70年余りの人生を生きた上での軽さや頼りなさ、意固地さが印象的な一方、他の登場人物の描写は少し曖昧で不自然に感じる。

併録の「おっぱい」の方が、いい加減だけど著者のユーモアが強調されていて読んで面白い。特にラストの雑さに味がある。

オホーツクの古代史

菊池俊彦「オホーツクの古代史」

オホーツクの歴史と言われ、何か具体的なイメージが湧く人が、日本にどれだけいるだろうか。

古代中国の文献に登場し、サハリンかカムチャッカにあったとみられる流鬼国と夜叉国。著者は僅かに残された文献上の記録と発掘調査の結果から、サハリン=流鬼、コリャーク=夜叉と推定する。
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街場の文体論

内田樹「街場の文体論」

久しぶりに著者の本を手にとった。コミュニケーション論の総括的な内容で、バルトやソシュールに触れつつ、後半はこれまで繰り返し語ってきた内容に着地。メタ・メッセージの重要性。

ほかにも、丸山真男が海外でも度々参照されるのに吉本隆明がほとんど翻訳されない理由や、司馬遼太郎の内向きさなど、結構示唆に富んでて面白い。
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阿Q正伝

魯迅「阿Q正伝」

プライドが高く、自らに都合の良い思考回路を持ち、革命に意味もわからないまま熱狂する無知蒙昧な民衆を戯画化した“阿Quei”。魯迅の民衆に対する痛烈な視線は、辛亥革命から100年が経った現代の中国や日本にも通じる。阿Q正伝という題と前半の軽い筆致もかなり現代的だと思う。

併録の「狂人日記」「藤野先生」など、どれも短いが印象的。

猫のあしあと

町田康「猫のあしあと」

猫エッセイ。町田康だからお気楽な感じかと思ったけど、文体はいつものように軽いものの内容は真摯。保護した野良猫も含めて何匹もの猫に囲まれる生活。それぞれの個性の描写がとてもユニークで面白い。

動物も、その周りの人も見えてない自称動物好きが多い中、とてもよく見ているし、あるいは見えていないことに自覚的。命でも、自らの人生でも、「預かったときと同じ状態で、或いは利子をつけて返さねばならない」との思いが貫かれている。

歴史を考えるヒント

網野善彦「歴史を考えるヒント」

日本という国号が定められ「日本人」が生まれたのはいつなのか、この問いにまともに答えることができる人がどれだけいるだろうか。関東や関西といった地域名がいかに生まれたか。自由、人民、土民、落とす、募るの本来の意味は――。

日本の歴史教育は左右問わず、自虐かどうかよりも根本的なところでずれている。近代の農本主義に基づく百姓=農民という誤解が歴史観をいかに歪めたか。為政者の意志や外国語との出会いで言葉の意味は移り変わり、過去の姿も変わって見えてしまう。言葉を軸に歴史を考える、網野善彦のエッセンスが詰まった一冊。