容疑者Xの献身

東野圭吾「容疑者Xの献身」

スリリングで一気に読んでしまった。物語のテンポの良さ、トリック、終盤のたたみかけるような急展開など、一級のエンターテイメント。ただ、いつものことながら、登場人物の行動にちょっとした違和感も。都合の良い場面で唐突に理解を超えたような愛とか執着が出てきて、純愛、泣ける、という評価には、うーん、という感じ。

通天閣

西加奈子「通天閣」

孤独なおっさんと、捨てられた女。通天閣を挟んで緩やかに交錯するさえない二人の日常。日々に閉じ込められ、狭い視野にとらわれていた二人の視界が最後にぱっと広がり、温かみのある苦笑いをしてしまうラスト。人物も物語も輪郭がとてもはっきりしていて、かつ嫌みがない。通天閣って、実際はそこまで存在感が無いけど、そのさえない優しさがこの物語にふさわしい。

ある一日

いしいしんじ「ある一日」

出産の一日を描いた短い“私小説”でありつつも、マジックリアリズム的な奥行きを持った作品。男性が出産を真正面から描くという不可能な挑戦を、慎二と園子、生まれ来る「いきもの」の間を視点が行き来し、溶けあっていくイメージで完成させている。

過去の記憶がとりとめもなく流れ、透明と不透明の間をゆらゆらと行ったり来たりするような、不安定な街の景色。ふっと感じる不安や孤独感、安堵や寂寥、そうした感情を文章で捉えるのがとても巧い。

A3

森達也「A3」

何も解明されないままほぼ終結したオウム裁判。独房で糞尿を垂れ流し、面会時には自慰行為に及ぶ……麻原は公判の途中で訴訟能力(責任能力ではない)を失っていたのではないか。

裁判に限らず、オウムはあたかも“例外”として扱われ、信者には建前の人権すら認められない。懲罰感情ばかりが先走りする社会に著者は異議を唱える。
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大阪アースダイバー

中沢新一「大阪アースダイバー」

学術的な知見をベースに、どこまで妄想を広げられるかの挑戦とも言える“アースダイバー”。上町台地を南北に走る「アポロン軸」と生駒山に向かう東西の「ディオニュソス軸」、その両軸をもとに発展した大阪は複素数の精神を持ってる……著者本人は大まじめだろうけど、序盤からかなり飛ばし気味。悪い意味ではなく、かなり面白い。

古代に遡れば、大阪は南北軸より、東西軸に重きが置かれていること。真に無縁の地である砂州にこそ都市が築かれる、だからこそ大阪は東京とは違う根っからの都市なのだという指摘など、はっとさせられる。

こちらあみ子

今村夏子「こちらあみ子」

少しずつ、周りから浮いていってしまうあみ子の目に見える世界。ADHDやLDといった重いテーマに、救いも無い展開だが、説明の少ない描写がかえって鮮やかさを感じさせる。

併録の「ピクニック」を読むと、当たり障りのない遠ざけるような優しさが、誰かの居場所を擦り減らしていく、その感覚が表題作も含めて作者の根底にあるように感じる。

宇宙のみなしご

森絵都「宇宙のみなしご」

真夜中に弟と近所の家の屋根にこっそり登る中学生の陽子。悩みを抱えた他の子たちと知り合い、絆を深めていく。

以前読んだ直木賞作「風に舞い上がるビニールシート」は無個性に感じたが、この作品はとても繊細。児童文学だけど、大人が読んだ方が一種の寓話として心に響くのでは。

「自分の力できらきら輝いてないと、宇宙の暗闇にのみこまれて消えちゃんだよ」

TOKYO 0円ハウス 0円生活

坂口恭平「TOKYO 0円ハウス 0円生活」

隅田川沿いで暮らす「鈴木さん」。建材は全て拾い物、電気は不要バッテリーをガソリンスタンドで貰い、収入源のアルミ缶は拾うのではなく契約したマンションや家庭から回収する。徹底した合理性と生活を楽しむ知恵。都市の隙間で生き、文字通り“ホーム”のある“ホームレス”。自分で工夫して住まいを作るそのスタイルは、出来合いのものを選ぶだけの自由しかない現代で、より人間本来の生き方に近いように思える。住まいとはなんだろうと考えさせられる。

宗教で読む戦国時代

神田千里「宗教で読む戦国時代」

カトリック宣教師が直面した中世日本の仏教と「天道」思想。キリスト教と似た側面にとまどいつつも、悪魔が拵えたものと非難した排他性が追放令につながっていく。

宗教一揆として知られる一向一揆は政治的な対立に宗徒が動員されただけで、権力者は宗教を利用しようとはしても、弾圧に熱心だったわけではない。信長対本願寺も捏造も含めて事後的に語られたもので、信長は宗教的には常識人だったという。

中世日本の精神性を理想化しすぎている気もするけど、かなり面白い。戦国大名の切った張ったばかりが注目されるけど、中世は文化史が熱い。