温室/背信/家族の声

ハロルド・ピンター「温室/背信/家族の声」

ハロルド・ピンターの戯曲集。難解と言われる作家だが、「背信」は純粋にドラマとして引き込まれる。不倫する男と女、その夫。ほぼ三人芝居で、関係の終わりから始まりまでの場面を時間を遡って見せていく。その過程で、誰がどこまで知っていたのかが次第に明らかになり、人間関係のさまざまな“背信”が浮き彫りになる。

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消失/神様とその他の変種

ケラリーノ・サンドロヴィッチ「消失/神様とその他の変種」

ケラリーノ・サンドロヴィッチの戯曲2本。ちょっとずれたテンポの良い会話に引き込まれる。「消失」は兄弟愛を軸に“消えること”に対する哀愁が全編に満ちた作品。活字で読むと少し感傷的すぎるかもしれないが、生身の役者を思い浮かべながら読むと胸を打つ。「神様とその他の変種」は家族の話。ナンセンスな愛憎が入り乱れて要約不可能。笑いつつ、心が毛羽立つ。作家自身が書いているように別役実的な雰囲気。

テロ

フェルディナント・フォン・シーラッハ「テロ」

注目の作家シーラッハの初戯曲。誰かを助けるために、誰かを犠牲にすることは許されるか。「トロッコ問題」などで知られる古典的な問いかけだが、テロの時代である現代、それは思考実験ではなく、現実の問題になりつつある。
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ゲゲゲのげ/瞼の女

渡辺えり子「ゲゲゲのげ/瞼の女」

「ゲゲゲのげ」は岸田賞受賞作。いじめられっ子の物語に鬼太郎と妖怪の戦いが混ざり合う。特定の主人公を立てるのではなくキュビズムのように多面的に描けないか考えていたと後書きに記しているように、夢のような脈絡のない展開で、次々と別の世界に連れていかれる。夢と同じく要約は難しい。「瞼の女」も同じ。過去、現在、未来、生まれなかったもの、生まれたかもしれないもの、それら全てが渾然と描かれる。

リア王

シェイクスピア全集 (5) 「リア王」 

末娘を勘当し、長女と次女に国を譲った後、二人に国を追放される悲惨な老王の物語。中盤以降の狂気ぶりが凄まじい。因果応報という言葉だけでは表現できない人間の愚かさと運命の不条理。「オセロ」などとともに四大悲劇とされるが、スケールの大きさは別格。

生きてるものはいないのか

前田司郎「生きてるものはいないのか」

日常を描きながら、登場人物が理由も無く次々と死んでいく。中盤以降は延々と「死に方」だけが描かれる。とはいえ、悲愴的なドラマではない。最後の言葉は中途半端で、誰もが見せ場など無くあっさり死んでいく。死体は舞台上に積み重なっていく。

何となく、人は自分の死に方は選べる気がしている。ここに描かれる死は例外無く滑稽だが、だからこそ、死に方は選べないという事実を突きつけられる。

幕末純情伝

つかこうへい「幕末純情伝」

つかこうへいの代表作の一つ。戯曲と小説のセット版。沖田総司が女という設定が共通していること以外は、映画、戯曲、小説、全て見事なほど別物。戯曲も上演ごとに大きく異なる。

新撰組や志士の面々が出てくるが、歴史ものではなく、総司と土方、龍馬のラブストーリー。でも、一般的なラブストーリーの甘さは無く、とにかくめちゃくちゃ。
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浮標

三好十郎「浮標(ぶい)」

三好十郎の代表作の一つで、自身の体験を書いた私戯曲。肺を患う妻と画家の夫。生活は困窮し、社会は少しずつ戦争への道を進んでいく。失うことができないものを、今まさに失おうとしている。これほど言葉の一つ一つから切実さが伝わってくる作品は無い。最後、死期の迫る妻に夫が万葉集を読み聞かせながら感情をぶつける場面は、初めて戯曲を読んで涙が滲んだ。タイトルに掲げられたブイは、茫漠とした人生の海で、波間に漂う孤独な姿にも、希望の微かな手がかりの比喩のようにも思える。
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