生きてるものはいないのか

前田司郎「生きてるものはいないのか」

日常を描きながら、登場人物が理由も無く次々と死んでいく。中盤以降は延々と「死に方」だけが描かれる。とはいえ、悲愴的なドラマではない。最後の言葉は中途半端で、誰もが見せ場など無くあっさり死んでいく。死体は舞台上に積み重なっていく。

何となく、人は自分の死に方は選べる気がしている。ここに描かれる死は例外無く滑稽だが、だからこそ、死に方は選べないという事実を突きつけられる。

幕末純情伝

つかこうへい「幕末純情伝」

つかこうへいの代表作の一つ。戯曲と小説のセット版。沖田総司が女という設定が共通していること以外は、映画、戯曲、小説、全て見事なほど別物。戯曲も上演ごとに大きく異なる。

新撰組や志士の面々が出てくるが、歴史ものではなく、総司と土方、龍馬のラブストーリー。でも、一般的なラブストーリーの甘さは無く、とにかくめちゃくちゃ。
“幕末純情伝” の続きを読む

浮標

三好十郎「浮標(ぶい)」

三好十郎の代表作の一つで、自身の体験を書いた私戯曲。肺を患う妻と画家の夫。生活は困窮し、社会は少しずつ戦争への道を進んでいく。失うことができないものを、今まさに失おうとしている。これほど言葉の一つ一つから切実さが伝わってくる作品は無い。最後、死期の迫る妻に夫が万葉集を読み聞かせながら感情をぶつける場面は、初めて戯曲を読んで涙が滲んだ。タイトルに掲げられたブイは、茫漠とした人生の海で、波間に漂う孤独な姿にも、希望の微かな手がかりの比喩のようにも思える。
“浮標” の続きを読む

冬眠する熊に添い寝してごらん

古川日出男「冬眠する熊に添い寝してごらん」

破格のスピードとスケール。明治の石油採掘村から現代の回転寿司屋まで、 現在と過去が複雑に溶け合う。2年前に蜷川幸雄演出で上演された戯曲で、ト書きに「時空は変容する」というような挑戦的な表現がしばしば出てくる。蜷川の演出は圧巻(舞台にそびえる“犬仏”や、客席通路までコンベアーを設置した巨大な回転寿司屋のセット、etc.)だったが、改めて戯曲を読んでみて、文学作品としても優れていると感じた。「あらゆるエネルギーは欲望する」という言葉に表されるように、近代日本のエネルギー史に、国家と個人の欲望が渾然一体となって描かれる。古川日出男は基本的には長編小説の作家だと思うが、戯曲もこの1作で終えてしまうのは惜しい。

ある女

岩井秀人「ある女」

岸田賞受賞作。自分はこんなに変じゃないと笑いつつ、どこか身につまされる面白さが著者の作品にはある。この戯曲は、不倫の泥沼に沈んでいく女を描く。主人公を含めて登場人物が皆イタイ。笑いどころ沢山だが、ふと、人間、生きていく上で選択肢なんてそんなにないのかもしれない、と冷静になる。

幸せ最高ありがとうマジで!

本谷有希子「幸せ最高ありがとうマジで!」

岸田賞受賞作。新聞販売店の一家のもとに、夫の愛人と嘘を付く女が現れる。理由は“無差別テロ”。

「私、病んでるけど元気なのよ。最先端なの。切ったり鬱になったりなんかしないし、明るい人格障害なのよ」

「あんたみたいな従来の情緒不安定系とは付き合いたくない」

女は自身を〝絶望の理由乞食〟といい、絶望の理由がある他人に絡んでいく。極端な振る舞いは、段々ともの悲しさに転じる。

この作風に拒否反応を示す人もいそうだけど、面白いことはとても面白い。

三月の5日間

岡田利規「三月の5日間」

ここ10年ほどの演劇の方向性を決定づけたとまで言われる作品。内容的には一夜の関係(正確には四泊五日だけど)を語っているだけだが、その語り口が既存のどのスタイルとも違う。で、で、と繋いで語順もばらばら。かなり口語(いわゆる“口語体”ではない)に近いセリフ。「~ってのを今からやります」「~っていう話で」が頻繁に挟まれ、語り手が一定しない。役と役者の関係も含めて一般的な戯曲、演劇のスタイルが解体されている。似たような試みは小説でもあると思うけど、演劇がここまで鮮やかに決めてしまうとは。