純文学と大衆小説両方の顔を持つ色川武大/阿佐田哲也の作品では、エンタメ側に振り切った読みもの。ピカレスク・コメディとでも言うような、痛快で軽妙な物語。いきあたりばったりで、ご都合主義全開、ツッコミどころ満載な展開に不思議と引き込まれる。
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とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起
身辺雑記である。私小説と呼ぶべきか、エッセイと呼ぶべきか、あるいは散文詩と呼ぶべきか。
両親の介護、年の離れた外国人の夫との喧嘩、子育ての難しさ、外国と日本を行き来する生活の苦労。そうした日々の出来事が、詩人らしい独特の文体で綴られる。語られている内容より、文章そのものこそが本質と言ってもよいかもしれない。ですます調で、ユーモアあふれる文体は親しみやすく、その文章の中に、中原中也や宮沢賢治、梁塵秘抄、説経節、浄瑠璃などからさまざまな言葉が借用され、溶け込んでいる。
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わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か
平田オリザ「わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か」
著者は、学校教育の現場や就職活動で、漠然と「コミュニケーション能力」が求められる風潮に疑問を呈しつつ、わかりあえないことを前提とした対話の基礎体力を身につける重要性を説く。コミュニケーション論というよりは、教育論というべき内容。
多様化、細分化、国際化が進んだ社会で求められるのは、「バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく」こと。そこでは、「合わせる」「察する」ことよりも、最低限の社交マナーとしての対話力が必要となる。
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てんのじ村
愛撫 静物 庄野潤三初期作品集
庄野潤三はなかなか不思議な作家で、平易で親しみやすい文章の中に、どこか捉えどころのない不穏さが漂っている。
表題作の一つ「静物」は、子どもたちとの他愛もない断片的な会話を連ねた作品。意味深なようで、実は意味もなくただ日常を綴っただけかもしれない気もする奇妙な手触り。
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虫喰仙次
小説には作家のさまざまなコンプレックスが書かれ、あるいは滲み出ている。人に理解されない劣等感を抱えるということは、非常に孤独なことだ。だからこそ、その複雑な感情を作品の中に見つけられることは読書の大きな効用の一つでもある。
表題作は「小説 阿佐田哲也」にも登場した男の話。博奕仲間で、会社での出世競争に敗れた男の半生を通じて、著者らしい社会観が綴られている。
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密林の語り部
ペルーの作家、バルガス・リョサの代表作の一つ。都会の生活と出自を捨て、密林の語り部となって新たな人生を生きることになった青年を巡る物語。私小説風、あるいはノンフィクション風の硬質な文体で語られる書き手と青年の思い出話と、語り部による脈絡のない神話、密林の世間話が交互に綴られる。
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「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実
恥ずかしながら、「新しき村」が今も残っていることを最近まで知らなかった。
武者小路実篤の「新しき村」は、文化的で個人が尊重される理想の共同体を掲げ、1918年に宮崎県の山中に開かれた。共有財産・共同作業で生計を立て、余暇を学問や芸術などに使うことを目指した村は、運営が軌道に乗り始めたタイミングでダムに一部が沈むことになり、39年に埼玉県毛呂山町に移転。戦後もその取り組みは続き、今年で100周年を迎える。
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犬はいつも足元にいて
兄弟作家のデビュー作。文藝賞受賞作。共作の成果だろう削ぎ落とした文体で、離婚した両親、粘着質の友人との関係を軸に、思春期の難しい感情を浮かび上がらせている。
タイトルからは、ほのぼのとした日常系をイメージするが、全編を通して不穏な空気が漂い、物語は明確な説明がないまま終わりを迎える。
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嘘つきアーニャの真っ赤な真実
エッセイの名手である著者が、チェコのソビエト学校時代の友人たちについて綴った3篇。故国を失った/捨てた3人の少女の半生を通じて、中東欧の複雑な現代史が浮かび上がる。
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