世界天才紀行

エリック・ワイナー「世界天才紀行」

「その国で尊ばれるものが、洗練される」

“天才”は不規則に生まれるのではない。特定の時期に、特定の場所に相次いで現れる。

アテネ、杭州、フィレンツェ、エディンバラ、カルカッタ、ウィーン、そして、シリコンバレー。

なぜ、その土地に天才が生まれたのだろう。紀元前のアテネも、ルネサンス前夜のフィレンツェも、当時の世界一の大都市でも先進都市でもなかったし、周辺の都市にすら後れを取っていた。18世紀のエディンバラや19世紀末のカルカッタは言うまでもない。シリコンバレーなんて、田舎のほぼ何もない土地に生まれた。

それぞれの土地でなぜ天才が育ったのか。その答えを求めて著者は旅に出る。
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プログラム

土田英生「プログラム」

MONOの芝居はハズレがない。毎回、対話の面白さをたっぷり堪能させてくれる。しかも、ただ笑って終わりではなく、登場人物一人一人の置かれた立場やその言葉を通じて、現実の生活や社会についても振り返らされる。主宰の土田英生氏による初の小説であるこの作品も、それは変わらない。

舞台は近未来。移民が増えた日本社会に対する反動として、東京湾の人工島に“古き良き日本”の面影を残す「日本村」が作られる。そこには血統的に純粋な日本人のみが暮らすことを許され、外部からの観光客や、移民の血が混じる住民は例外として目印となるバッジの装着が命じられる。ある日、その島に設けられた“夢の次世代エネルギー”の発電所で事故が起こる。
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スミヤキストQの冒険

倉橋由美子「スミヤキストQの冒険」

架空の政治思想「スミヤキズム」を信奉する青年Qが、革命を起こすことを意図して孤島の感化院に赴任し、そこで院長やドクトルら奇妙な人物に出会う。頭でっかちなQは理論武装で現実に立ち向かい、周りの人間や状況に翻弄される。

ここに描かれる「スミヤキズム」は、現実のマルキシズムやトロツキズムを容易に連想させる。だとしたら、院児の肉を食料とする感化院の姿は権力や資本主義のメタファーか。確かに、資本主義は不条理でグロテスクで、トロツキズムは滑稽だ。

しかし、著者自身はこうした読み方を否定する。
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墓地を見おろす家

小池真理子「墓地を見おろす家」

怖いと評判の作品。

墓地を見おろす新築マンションに越してきた一家の周りに奇妙な出来事が次々と起こる。エレベーターでしか出入りできない地下フロアに閉じ込められたり、エントランスのガラス戸に白い手形が次々と現れたりと、たしかにぞっとする場面はあるが、登場人物の描写や細部のリアリティ不足であまり怖いと思えなかった。

なぜ、の説明が無いまま恐ろしい出来事が続くのはホラーとしては欠点ではない(スティーブン・キングの作品なんて全部そうだ)が、細部に説得力がないと怖がれない。フィクションとはいえ、というより、フィクションだからこそ。
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しんせかい

山下澄人「しんせかい」

作中では【先生】【谷】としか書かれないが、倉本聰が主宰していた「富良野塾」での日々を綴った小説。

19歳。【先生】のこともよく知らなければ、俳優になりたいという強い思いがあるわけでもない。たまたま目にした新聞記事を見て飛び込んだ【谷】は、俳優教室というよりは小さな共同体で、日々小屋作りや農作業に追われる。
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ホワット・イフ? ―野球のボールを光速で投げたらどうなるか

ランドール・マンロー「ホワット・イフ? ―野球のボールを光速で投げたらどうなるか」

多彩な質問にユーモアたっぷりの回答。

著者はNASAで働いた経験を持つ理系漫画家。ウェブサイトに寄せられた「空気圧で肌を温めるにはどれくらい早く自転車をこげばいいか」「どのくらいの高度から肉を落としたらステーキが焼けるか」といった質問に、シュールなイラストを交えて、科学的知見で回答する。

たとえば、表紙に書かれている「光速の90%で野球の球を投げたら」という質問。著者によると、空気とボールの表面で核融合が起こり、球場内の空気が高温のプラズマと化す。急激な膨張と大爆発によって球場の周囲1.5km以内のすべては消え去るが、結論は「MLB規則6.08(b)によれば、この状況では、バッターは死球を受けたと判断され、1塁に進むことができるはずだ」。
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誰が音楽をタダにした? ─巨大産業をぶっ潰した男たち

スティーヴン・ウィット「誰が音楽をタダにした? ─巨大産業をぶっ潰した男たち」

「音楽を手に入れることだけが目的じゃなかった。それ自身がサブカルチャーだったんだ」

よくあるネット史の概説書かと思いきや、一級のノンフィクション。事実は小説より奇なり。音楽が無料で(その多くは違法で)流通するのは、何となくインターネットの発達の必然で、自然にそうなったような気がしていたが、あくまで人の物語なのだ。“音楽をタダにした奴ら”の姿を丁寧に追っていく著者の筆致は、下手な小説よりもスリリング。音楽好き、ネット好き必読。

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夜市

恒川光太郎「夜市」

表題作と「風の古道」の2本。さまざまな世界が混ざり合い、対価さえ払えば何でも手に入る夜市。魑魅魍魎が闊歩し、世界の裏側を通って各地をつなぐ不思議な古道。設定だけ書いたら既視感のある話だが、舞台の見せ方や物語の進め方が巧みで、それがシンプルな文体と相まって非常に魅力的な世界を構築している。
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しろいろの街の、その骨の体温の

村田沙耶香「しろいろの街の、その骨の体温の」

読みながら気分が沈んでいく。ただ中学、高校で“強者”として生きてきた人には全くピンとこない小説だろう。

こじらせた初恋の物語。といっても最近よく使われるコメディチックな「こじらせ」ではなく、歪んで、暗く、痛々しい。
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なぎさホテル

伊集院静「なぎさホテル」

作家としてデビューする前後の20代後半から30代にかけて「逗子なぎさホテル」で過ごした7年間を随筆風に綴った小説。妻と別れ、会社も辞めて借金にまみれ、宿泊費も満足に払えない若者を家族のように迎えてくれた支配人をはじめとする人々の温かさに、読んでいるこちらも心が安らぐ。この期間の重要な部分を占めただろう夏目雅子との日々についてはほとんど触れられていないが、これは著者の哲学によるものだろう。
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