なぎさホテル

伊集院静「なぎさホテル」

作家としてデビューする前後の20代後半から30代にかけて「逗子なぎさホテル」で過ごした7年間を随筆風に綴った小説。妻と別れ、会社も辞めて借金にまみれ、宿泊費も満足に払えない若者を家族のように迎えてくれた支配人をはじめとする人々の温かさに、読んでいるこちらも心が安らぐ。この期間の重要な部分を占めただろう夏目雅子との日々についてはほとんど触れられていないが、これは著者の哲学によるものだろう。
“なぎさホテル” の続きを読む

鳩どもの家

中上健次「鳩どもの家」

中上健次の初期作3本。薬でラリった予備校生の無為な日々を綴る「灰色のコカコーラ」は、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を連想させるが、村上龍が中上のこの作品の影響を受けたようだ。

こうした初期の作品から路地を舞台にした一連の作品群へと達したのが不思議なような気もする一方、最後の「五錠は母のため、後の五錠は兄のため、姉のためにも三錠――」とドローランを飲む場面からは、やはり中上は最初から書くべきものを持っていた作家という印象を受ける。
“鳩どもの家” の続きを読む

池澤夏樹=個人編集 日本文学全集10

池澤夏樹=個人編集 日本文学全集10
能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵

池澤夏樹編集の日本文学全集。収録作のセンスも光るが、何より古典の現代語訳者のセレクトが面白い。町田康の宇治拾遺物語、古川日出男の平家物語、角田光代の源氏物語など、組み合わせを聞いただけで、小説好きなら手に取らずにはいられない。

この10巻は能・狂言に説経節、浄瑠璃という芸能分野の作品が収められている。今でこそ馴染みが薄れた作品群だが、どれも中世から江戸時代にかけて広く知られ、日本人の心性を作ってきた物語として必読(教科書に載っているような古典よりずっと影響力があっただろう)。何より「女殺油地獄」の現代性や「菅原伝授手習鑑」「仮名手本忠臣蔵」の構成の妙など、決して古びてなく、純粋に読み物として引き込まれる。訳のレベルも高く、謡い、語られるための曲をどう現代の散文に訳すかに作家の個性がはっきりと出ていて面白い。
“池澤夏樹=個人編集 日本文学全集10” の続きを読む

銀二貫

高田郁「銀二貫」

大坂を舞台にした時代小説の傑作。仇討ちで父を亡くした武家の少年が商家の丁稚となって――という成長物語を軸とした、いまや珍しいくらい素直な人情もの。銀二貫がそれぞれの人生を変えていく。登場人物の一人一人が魅力的で、主や番頭の商人としての矜持の描き方が気持ちいい。

道頓堀川

宮本輝「道頓堀川」

宮本輝の川三部作は高校生の頃に「泥の川」「螢川」を読んでいるが、この「道頓堀川」は初めて。喫茶店に住み込みで働く大学生、過去に傷を持つ店主、ビリヤードに打ち込むその息子らの人生が繊細な筆で綴られる。読みながら道頓堀の川辺を流れる人の波と川面に揺らめくネオンの明かりが目に浮かぶ、しみじみと良い作品。
“道頓堀川” の続きを読む

慟哭

貫井徳郎「慟哭」

娘を失い新興宗教にはまっていく男と、連続幼女誘拐殺人事件を追う警視庁捜査一課長の物語が交互に進む。大物政治家の隠し子で「ご落胤」「七光り」と揶揄され、自らの娘との関係も破綻している一課長の苦悩と、娘を亡くした男の狂気がやがて重なり合う。
“慟哭” の続きを読む

孤高の人

新田次郎「孤高の人」上・下

日本の単独登山の先駆け、加藤文太郎(1905-1936)。本人の遺稿集「単独行」は読んだことがあるが、彼をモデルとしたこの作品は初読。加藤は実名で描かれているが、新田次郎の創作色が強い。
“孤高の人” の続きを読む