猛スピードで母は

長嶋有「猛スピードで母は」

「サイドカーに犬」では父と愛人、「猛スピードで母は」には母。どちらの作品も小学生の視点で綴られ、奔放で個性的な大人が出てくる。そうした親を持つ誇らしさ、「自分」というものを持った大人への憧れ、同時に、大人として生きることのつらさへの慈しみのようなものも滲む。さらっと読めてしまう一見特徴のないシンプルな文章がかえって余韻を残す名短篇。

かわいそうだね?

綿矢りさ「かわいそうだね?」

三角関係を描いた結構ストレートな恋愛小説だけど、最後のカタルシスが著者ならでは。100%女性視点な描写と物語なのに、男が読んでも引き込まれてしまう。併録の「亜美ちゃんは美人」は、美人の親友を持った心境を描く。これも面白い。

悪人

吉田修一「悪人」

殺人事件を描きながら、ひとりとして純粋な悪人はいないし、一方で誰もが醜悪。 ドキュメンタリーを見ているような群像劇。登場人物が皆、俗っぽく、だからこそ他人事と思えないリアルさがあるし、自分の見たくない面を見せられているような嫌悪も湧いてくる。

人気作家ながら「パークライフ」しか読んだことが無かったけど、これを機に他の作品にも手を出してみようという気になった。

天の歌 ―小説 都はるみ

中上健次「天の歌 ―小説 都はるみ」

中上健次が都はるみの半生を描いた異色作。といっても評伝とは少し違い、中上の小説世界の中に都はるみが現れたという感じ。中上の過剰な文体は生身の存在の前でやや戸惑っている印象を受けるが、引退公演の場面などは他の作家には書けない迫力がある。

中上が新宮の路地ではなく、西陣の小路を描いているというだけで新鮮。忘れられたような作品だけど、結構面白い。

春のめざめは紫の巻 新・私本源氏

田辺聖子「春のめざめは紫の巻 新・私本源氏」

須磨から帰ってきた光の君。といっても「私本・源氏物語」の単純な続編ではなく、玉鬘や女三宮ら女性側の視点で描かれ、設定が変わっている部分もある。未だ絶大な人気を誇りながら、若い姫からは「色男の化石」「オジン」と呼ばれてしまう光の君が哀愁漂って何とも面白い。男性視点だった前作よりも登場人物が皆いきいきしていて魅力的。

私本・源氏物語

田辺聖子「私本・源氏物語」

もし源氏物語が現代の娯楽小説や漫画として書かれていたら、あるいは近世以降の草双紙で書かれていたら、こんなノリかもしれない。光の君を従者の目から描き、雅という視点に囚われず、好色という要素をうまく抽出して思わず笑ってしまう面白い小説に仕上げている。登場人物のキャラが立っていて皆魅力的。いい意味で突っ込みどころ満載。

ゲルマニウムの夜 ―王国記1

花村萬月「ゲルマニウムの夜 ―王国記1」

過激な暴力、性描写と書くと、よくある純文学の一分野の気がしてしまうが、これはグロテスクさで一つ突き抜けている。修道院を舞台に神を冒涜するかのような行為が重ねられていくが、それは宗教の欺瞞を露わにしながら、同時に信仰の悦楽に対する研究となっている。過激な描写はあくまで表面的なもので、その核にあるモチーフは古典的な印象。

幕が上がる

平田オリザ「幕が上がる」

“静かな演劇”の地平を切り開いた著者がどんな小説を書くのか気になっていたら、これが意外なほど爽やかな青春小説。そして、まさにそれを狙ったのだろうけど、“高校演劇入門”としても白眉の出来。余計なドラマが無いのがいい。唯一のドラマが元女優の副顧問を巡る後半の展開だけど、それすら無くてもいいくらい。

普通の悩みだからこそ、かけがえがない。ドラマがないからこそ、日々は可能性と希望に満ちあふれている。こんな風に夢中になれるものを見つけられたら。