ゆれる

西川美和「ゆれる」

当人たちも目を反らしてきた兄弟間の微妙な感情が、ある事件を機に露わになる。どんな関係でも、好意を持っている相手にでも、人と人との間には隠したい醜い思いもつきまとう。嫉妬や羨望、苛立ち、軽蔑、生理的な嫌悪……

この小説版は登場人物がそろって饒舌すぎる気もするけど、一人一人の語りを通じて秘められた感情を剥き出しにしていく手法は巧み。どこか嫌な、見たくないものを見た感じが残る。

一条さゆりの性

駒田信二「一条さゆりの性」

伝説的ストリッパー、一条さゆりを描いた随筆のような小説集。かなり生々しい描写を含むが、なぜか温度の感じられない不思議な文章。作者の駒田信二が一条さゆりの激しい人生をあたたかく見つめているようでいて、むしろ、作家のまなざしを一条さゆりがあたたかく受け止めているように思える。そして、一条さゆりが感じている生きづらさに、読み手も自らのしんどさをどこか重ねてしまう。

あとかた

千早茜「あとかた」

デビュー作の「魚神」とはだいぶ違う雰囲気の連作短編。空虚な日常、日々の倦怠感、あるいはそこに端を発する不倫、のような話は既視感があるし、こういう表現はあまり使いたくないが、最初はかなり女性的な小説に感じた。ただ、読み進めるうちに不思議と引き込まれて、もっと先を読んでみたいと思ったし、読み終えて不思議と心に残った。現実感と非現実感の間をたゆたうような筆致、各短編の重なり具合なども巧みな印象。

魚神

千早茜「魚神」

どこの国の、いつの時代かも分からない掃溜めのような島で互いを心の拠り所に暮らしていた姉弟。伝説の遊女の名を継ぐ白亜、心を見せないスケキヨ。巨大魚と遊女の伝説。所々既視感はあるものの、デビュー作でこれだけ世界観を作ることができるのはかなりの大器を感じさせる。連作の絵画、あるいは耽美的な映像作品を見たような読後感。

蛍の森

石井光太「蛍の森」

ハンセン病に対する苛烈な差別を正面から描いた石井光太の小説。一歩間違えばただ悪趣味なだけになってしまいかねない題材だが、四国の山中にあったカッタイ寺を舞台に、療養所に隔離されることを拒み、社会から姿を消したことで歴史に残らなかった存在を蘇らせることに成功している。
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まずいスープ

戌井昭人「まずいスープ」

短篇3本。表題作は結構個性的な人物も出てくるけど、基本的には日常をとらえた小説。主体性の無い主人公で日常を描くというのは日本の小説の定番のようなもの。主人公の存在の薄さがかえって情景を鮮やかにして、こんな瞬間あるよね、って共感できる場面が多いけど、こうした小説のスタイルはそろそろ飽和状態という気もする。この作品も面白いし、結構好きだけど、何か既視感があって1年後に覚えていられるか……。ただ3本ともどこか引き込まれる魅力があって、他の作品も読んでみたいと思う。

夏の水の半魚人

前田司郎「夏の水の半魚人」

小学5年生の夏を描いた中編。派手な出来事は何も怒らない、淡々とした文章だけど、ふとした瞬間の興奮、喜び、驚き、いらだち、絶望、妙なこだわり……小学生のころ、こんな感じだった気がして、思わず引き込まれた。

大人になるにつれて人は記憶が増え、一つ一つの出来事とその時の感情へのアクセスは減っていく。だからこそ、大人の書く物語で子供はあまりにも単純な存在になる。でもきっと、子供のころも、稚拙なりに、複雑な思考をしていた。参照する記憶が少ないからこそ、色々な出来事を大きく感じていた。そんな日々は下手なフィクションよりも、本人にとっては力を持った物語だったはず。町田康の解説が良い。

ムッシュ・クラタ

山崎豊子「ムッシュ・クラタ」

戦前、戦中を通じてフランス文化に心酔し、「ムッシュ・クラタ」と揶揄されたある新聞記者。浮世離れしてキザなだけに思えた人物像が、知人や家族の回顧を通じて徐々に深みを増していく。

人の本質は一人では捉えられないということを強く感じさせる表題作ほか、どれも味わいがある短編。社会派、大作のイメージが強い山崎豊子だが、小品も素晴らしい。どの短篇も書こうと思えば大長編にできそうな奥行きがあって、この人は書くべきものをどれだけ持っていたのだろうと思わされた。