わたしたちに許された特別な時間の終わり

岡田利規「わたしたちに許された特別な時間の終わり」

本谷有希子、戌井昭人など、ここ数年評価が高い新人小説家の多くが演劇畑出身というのは、活字漬けで育ってきた身からすれば少し淋しい。大江賞を受賞した岡田利規もその一人で、ここに収録された「三月の5日間」は00年代で最も影響が大きかったとされる演劇の小説版。イラクで戦争が始まった日からの5日間、渋谷のラブホテルでだらだら過ごしている男女を描いただけで、そこにはドラマも何も無い。ただよく分からない“特別な感じ”だけが漂う。

“特別”が分からなくなった現代。村上春樹が描いた時代の喪失感の次をとらえかけているような気がしなくもない。

ミーナの行進

小川洋子「ミーナの行進」

ミーナと過ごした少女時代を回想した、静かで、とても優しい物語。昔からあるような設定で、起伏も無ければ、文体にも癖が無い。全体として在りし日への郷愁が満ちているが、それを全面に出しているわけでもない。それでも、物語から離れたくないと最後の1ページまで思わされる。卓越した描写とストーリーテリング。場面々々に滲む阪神間の空気も魅力的。思い出といううつくしいものを、四の五の言わず大切にしよう、そう思える作品。

きことわ

朝吹真理子「きことわ」

不確かな過去の記憶。感傷を言葉を重ねて表現したような小説。貴子と永遠子の視点が交錯し、過去と現在、現実と夢が溶け合う。今自分が読んでいる視点がどこにあるのか分からなくなる。やや試作のような雰囲気があるが、技巧的で文章も美しい。巻末の町田康の解説が素晴らしい。

ティンブクトゥ

ポール・オースター「ティンブクトゥ」

ホームレス詩人ウィリーと犬のミスター・ボーンズ。ボーンズの視点で語られる話だが、その思考は哲学的で、もはや犬である必然性が無い。そうした設定も含めて決してセンチメンタルにならないのがオースターらしい。あらすじはシンプルだが、安易なメロドラマに堕さない。ウィリーに先立たれたボーンズは新たな環境で生きていこうとするが……。現代のアメリカを書いた作品とも、生の実感と自由を巡る物語とも言える。

落日燃ゆ

城山三郎「落日燃ゆ」

戦前、戦中を通じて外相、首相を歴任し、文官としてただ一人A級戦犯として処刑された広田弘毅。“自ら計らわぬ”広田を通じて、個人が抗えない、時代の大きなうねりが浮かび上がる。広田というよりは、戦争へと流れる時代を描いた小説。

今読めば、「長州の作った憲法=統帥権の独立=軍部の暴走」が日本を滅ぼしたとするのは歴史観として単純すぎるし、広田に過剰に肩入れするのも戦後日本の自己弁護の典型例と言えなくもないが、誰が時代の流れを止められるのかという問いを鮮やかに突き付けてくる点で、極めてスリリングな現代史のドキュメントとなっている。

ホテルローヤル

桜木紫乃「ホテルローヤル」

釧路郊外のラブホテルを軸に、移ろいゆく人間関係を描いた連作短編集。北海道らしい直接的な描写はほとんどないのに、どこか閉塞感のある地方の感じを出している。しかも、乾いたというか、冷たさのある閉塞感が道東らしい。テーマからすると、もっと悪趣味に書いてもいいような気がするが、直木賞としてはこのくらいの毒がちょうどいいのかも。

聖なる怠け者の冒険

森見「登美彦聖なる怠け者の冒険」

主人公をはじめ、登場人物の半数が動きたがらない怠けもの。冒険と怠惰のせめぎ合いの中、よく分からない勢いで物語が進んでいく。この不思議な推進力は著者ならでは。文体は以前よりもシンプル。読みやすいけど、初期の無駄にだらだらした文章も名残惜しい。新聞連載がベースということもあって、やや難産のあとも感じられるけど、安定した面白さ。

銀の匙

中勘助「銀の匙」

明治生まれの著者が子供時代を綴った自伝的小説。友人との出会い。別れ。自分が「びりっこけ」だと気づいた痛み。日清戦争や修身の授業で感じた周囲とのずれ。教師への反発。とてもシンプルな文章ながら、前半から後半へと目線の高さが自然に変わっていって、著者自身がどこまで意識したのか分からないが、極めて巧みな印象も受ける。子供の目線で文章を書くのは難しい。これを二十代で書いた感性は相当なもの。どのページを読んでも、はっとさせられる。

抱擁家族

小島信夫「抱擁家族」

アメリカ人の青年と不義を犯した妻。少しずつ崩れていく家庭。既に色々な読み解き方をされてきた作品で、主人公と妻の態度を通じて日本を描いたもの、あるいはアメリカ的なものとの出会いによる価値観の崩壊……というのが定番だが、今読むとシンプルに、他者と関わることの得体のしれなさを描いた作品として心に残る。

異質なものの混入で家族が壊れたのではなく、既にこの家族は壊れている。あるいは人間関係というものは自壊する構造を持っていて、そこに異質なものが入ってくる様子を喜劇として描いている。ぎこちない文章がかえって気持ち悪さを出している。