紀ノ川

有吉佐和子「紀ノ川」

明治から大正、昭和へ、社会が大きく変わっていった時代を描いた女三代記。

家父長的な旧家の盛衰を題材としながら、そこを貫くのは男の系図ではなく、母への反発と共感を繰り返しながら女から女へと受け継がれる血筋。
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葭の渚

石牟礼道子「葭の渚」

石牟礼道子の自伝。といっても内容は「苦海浄土」を書くまでで、幼い頃の描写が多くを占める。

天草の海、零落した家、避病院と火葬場近くの新居、気がふれた祖母のおもかさま、早世した伯父、戦争、戦災孤児の少女との出会い……

悲惨な体験も著者の語りにはどこか光が差している。
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すみれ

青山七恵「すみれ」

37歳のレミちゃんと語り手である15歳の少女。「当たり前の幸せなんか、いやだ……」と感じつつ、自分の平凡さに気付いている思春期の少女の苦しみに切実さがある一方で、心を病んでいるというレミちゃんを含む周りの人物の造形にちょっと違和感も。
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仏果を得ず

三浦しをん「仏果を得ず」

文楽の世界を舞台にした青春小説。役の性根を掴むことに苦心する主人公を通して、熱心な文楽ファンという三浦しをん自身の作品観も伺えて面白い。

古典は理解に苦しむ話が多いが、その雑多さは受け取る側に向かって開かれている。小説中に作品名が次々と出てくるが、解説くささが無く、著者自身かなり楽しんで書いたのでは。
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枯木灘

中上健次「枯木灘」

再読。中上健次の他の作品はよく読み返してきたが、代表作とも言えるこの作品は高校のころ以来かも。当時、なぜ自分がこの作品に強く惹かれたのか、そして今読んでもなぜ心が揺さぶられるのか分からない。文章は、冗長で、くどい。ただ、そこに胸が詰まるほどの切実さがある。

この小説に物語は書かれていない。書かれているのは、登場人物の行動とさらに思考も含めて、全てが情景描写にすぎないと言える。ただ、その背後に、豊穣で、読み手を痛みとともにその中に引きずり込む物語が存在している。

フラニーとズーイ

サリンジャー「フラニーとズーイ」

村上春樹による新訳。

とにかく読んでいて胸が痛くなる。ズーイの言葉とフラニーのいらだちは、サリンジャー自身の叫びのようだ。信仰を巡る会話が延々と続き、当時はこれがそのままスピリチュアルな主題として受け止められたのだろうが、今読むと、それは訳者の村上春樹が指摘しているようにメタファーとして感じられる。かえって多くの人の心に迫るのでは。
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爪と目

藤野可織「爪と目」

二人称という難しい形式を、娘から継母への視点で巧みにまとめあげている。しかも幼少期の出来事を語ることで3歳児のまなざしと重ね、そこに計り知れない敵意、悪意、あるいは諦観のようなものを感じさせる。まるで自分の無い大人の描写も気味が悪い。ただ併録の2編も含めて、書かれている内容や雰囲気の割には、なぜこれを書くのか、書かざるを得ないのかという、作品に対する切実さのようなものはあまり感じられなかった。