あの戦争と日本人

半藤一利「あの戦争と日本人」

1年前にkindleのセールで買ったまま積読(電子書籍ではなんと言えば……)していた1冊。
著者の論旨は明快で、日露戦争から日中戦争、太平洋戦争にかけて、国の指導者がいかにリアリズムを失っていったかに重点を置いて語られている。「統帥権の独立」を盾に「軍部が暴走」という単純な歴史観ではなく、参謀本部、内閣、世論がそれぞれに、ずるずると戦略無しの決断を重ねていった結果、引き返せない地点に至ったことを丁寧に明らかにしている。あの戦争は決して軍部という異常な存在が単独で引き起こした問題ではない。大衆、メディア、政治、どこにも大局的見地がないという問題は現在の日本にも重なる。

生きて帰ってきた男

小熊英二「生きて帰ってきた男 ―ある日本兵の戦争と戦後」

著者の父の半生を聞き取りでまとめたもの。小熊英二の父、謙二は敗戦後にシベリアに抑留された経験を持つが、その生涯は平均的なもの(それは典型的なイメージ通りの人生ということを意味しない)で、決してドラマチックではない。だからこそ、一人の個人史から時代を描く試みが成功している。
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戦争と読書 水木しげる出征前手記

水木しげる、荒俣宏「戦争と読書 水木しげる出征前手記」

水木しげるが徴兵される直前に書いた手記。手記そのものは短く、半分以上が荒俣宏による解説で、それも水木の戦争体験というよりは、戦前の若者の教養主義についての内容。目前に迫った死の可能性にどう向き合うか。それは生きる意味にもつながってくる。戦前の青年がとにかくよく本を読み、よく悩んだという事実に驚かされる。
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戦場の軍法会議―日本兵はなぜ処刑されたのか

NHK取材班、北博昭「戦場の軍法会議 ―日本兵はなぜ処刑されたのか」

NHKのドキュメンタリーの書籍版。戦時中の軍法会議についての証言は極めて少なく、関連文書も終戦時に組織的に焼却されてしまったため、残っていない。法務官の生き残りの多くは戦後法曹界のエリートになっていて(このあたりは医学界の闇とも似ている)、口を閉ざしてきた。
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「李香蘭」を生きて

山口淑子「『李香蘭』を生きて」(私の履歴書)

戦時下の満州と中国で、李香蘭として生きた山口淑子の自伝。書くべき事が多すぎる生涯で、この一冊では物足りないくらいだが、自身の言葉でその時々の思いが綴られていて胸に迫る。中国で育った日本人が、中国人スターとして一世を風靡する。日本では中国人として蔑まれ、中国では、なぜ日本に協力するのかと責められる。終戦後、李香蘭として漢奸裁判にかけられるが、日本国籍の山口淑子と証明されて帰国を果たす。一方、清朝の皇族として生まれ、日本人の養子となった川島芳子は漢奸として銃殺された。なぜ自分が生き残ったのか、という思いは李香蘭の衣を脱いだ後も生涯つきまとって離れなかったのだろう。巻末の川島の裁判記録も興味深い。

土壇場における人間の研究 ―ニューギニア闇の戦跡

佐藤清彦「土壇場における人間の研究 ―ニューギニア闇の戦跡」

「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と恐れられたニューギニア戦線。文字通り同胞相食む極限状態に陥った日本軍兵士の状況を、膨大な手記や証言から明らかにしていく労作。
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浮浪児1945‐ 戦争が生んだ子供たち

石井光太「浮浪児1945‐ 戦争が生んだ子供たち」

戦後街に溢れたストリートチルドレンがどう消えていったのか、彼らがその後どのように生きて来たのか、あまり語られることのなかった浮浪児の戦後史。当然それは一括りに一般化して語れるものではなく、あくまで個人の物語を積み上げる作業となる。

地下道での生活、闇市での仕事、テキヤ、ヤクザ、パンパンとの交流、孤児院、脱走、そして経済発展……

ここに語られているのは主に東京大空襲と上野の町の記憶だが、戦後の日本全体、さらには現在の世界各地の都市に通じる普遍性を持った証言でもある。

昭和天皇の終戦史

吉田裕「昭和天皇の終戦史」

国体=天皇制を維持するために人々がどう動いたのか。米国の利益と宮中の利益の間で展開される工作はスリリングで、読み物としても引き込まれる。戦争責任、という問いの立て方は不毛な議論に陥ってしまうが、著者はそれを避けつつ、主戦論者だけでなく、理性的な平和主義者の顔をした「穏健派」も告発する。