アフターダーク

村上春樹「アフターダーク」

再読。以前読んだときは「私たち」という観察者の視点が風変わりな、三人称作品の習作という印象が強かったけど、改めて読んでみると、細部も含めて不思議な魅力に満ちた作品だと感じた。

これ以前の長編は全てナルシシズム全開(それが魅力)の一人称自分語りだったけど、この作品は前半、観察者視点を徹底していて内面の描写が一切ない。ただ後半になるにつれて普通の三人称小説と変わらない表現が増えてくる。これは狙ってやっているのか、それとも無意識に文体が揺らいでいるのか。

笛吹川

深沢七郎「笛吹川」

戦国時代の甲州、笛吹川沿いに生きた農民一家の物語。

生きて死ぬ人の営みを淡々と形容詞や比喩をほとんど用いない文体で綴る。主人公がいない。理由もなく、予想外のタイミングで人が死ぬ。それどころか登場人物の行動の理由がそもそも説明されない。希望も無いし、そこには絶望すら無い。

視点が俯瞰的な語り手から各人物へ、自在というより、唐突に動く文体がドライさに拍車をかけている。話自体も人間の描写も非現実的なようで、近代小説の定型を崩していると言う点では徹底してリアリズムということもできる気がする。

ちいさな王子

サン=テグジュペリ「ちいさな王子」

光文社の新訳。「星の王子さま」で知られる内藤濯訳を読んだのは中学か高校の時だったから良く覚えていないけど、この新訳は童話調の表現を廃したシンプルな文体で、物語の芯がよりはっきり浮かび上がっている。70年前の作品というのが信じられない。大人向けの寓話としてはこれ以上のものは存在し得ないだろう。
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歎異抄

唯円「歎異抄」(川村湊訳)

歎異抄の関西弁訳。正直、読みにくく、元々口語で書かれたものだからといって関西弁にする必然性もあまり感じられない。そもそも、訳の関西弁の質も低い気がする。

歎異抄自体は以前にも読んだことがあるが、改めて触れ、親鸞の「無思想」の強調ぶりや構成の不自然さ、教義と言うより、非常に私的な記録と言えることなど、改めて気づくことも多かった。

ミャンマーの柳生一族

高野秀行「ミャンマーの柳生一族」

軍政を幕府、軍情報部を柳生一族に例えた異色の旅行記。船戸与一の取材旅行に同行してミャンマーに入った短い期間のものだが、何でもエンターテイメントに仕上げてしまう著者の力技に感動。アウンサンスーチー率いるNLDと軍政の対立について、民主化運動と単純に捉えるのではなく、少数民族側の視点でお家騒動に過ぎないとするあたり、結構鋭い指摘も。船戸与一の泰然自若ぶりも面白い。

共喰い

田中慎弥「共喰い」

古風だが、いわゆる擬古的なものではなく、著者にとってはこれが自然だったのだろうと思える作品。性と暴力の象徴ともいえる父との葛藤や、土地の匂いを感じさせる言葉は中上健次を彷彿とさせる。「枯木灘」くらいの分量があると強烈な作品になったと思う。ちょっと短かい印象。

道化師の蝶

円城塔「道化師の蝶」

円城塔の作品は、よく分からんけどいい感じ、という不思議な魅力がある。他の著者の前衛的と言われる難解な作品と比べ、構造への強い意志が感じられる。自ら受賞の言葉で示唆しているように「複雑系」の構造と部品を楽しむ小説か。

すべて真夜中の恋人たち

川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」

文体先行の印象が強かったこれまでの作品からは意外なほどストレートな恋愛小説。真夜中、光、というキーワードをちりばめた物語と文章が美しい。

初老の物理教師と“冬子さん”。読んでいて「センセイの鞄」がちらついて仕方なかったが、最後まで読むとそれなりに別物。衰えつつある男性と未成熟な大人の女性というのは、現代の恋愛小説の定番の一つになるのかもしれない。

日本妖怪異聞録

小松和彦「日本妖怪異聞録」

酒呑童子から百鬼夜行まで、フィクションとしての妖怪はどうして生まれたのか。

朝廷や仏法の権威を示すものから、社会の不安、不満を色濃く映したものまで鬼や天狗のイメージの変遷。妖怪とは、まさに多神教的な、人間中心の世界観の産物と言えるかもしれない。
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