たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く

石村博子「たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く」

世界大会で3度優勝し、公式戦無敗の41連勝、“サンボの神様”とまで言われたビクトル古賀(古賀正一)の少年時代の物語。満州から一人で引き揚げてきた少年の回想であると同時に、コサックの末裔の物語でもある。

「俺が人生で輝いていたのは、10歳、11歳くらいまでだったんだよ。(中略)俺のことを書きたいって、何人もの人が来たよ。でも格闘家ビクトルの話だから、みんな断った。あなたを受け入れたのは、少年ビクトルを書きたいっていったからさ」
“たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く” の続きを読む

「子供を殺してください」という親たち

押川剛「『子供を殺してください』という親たち」

予備知識無くタイトルだけ見て、精神科医の書いた本かと思って手にしたが、著者は精神病の患者を家族等の依頼で医療機関に繫ぐ「精神障害者移送サービス」の経営者。病識を持つように本人を説得するとともに、受け入れ先の病院を探し、その後の面会等のフォローも手がけている。本書では著者自身が実地で体験したケースを紹介するとともに、現在の日本の精神医療の問題点を指摘している。
“「子供を殺してください」という親たち” の続きを読む

すきあらば 前人未踏の洞窟探検 洞窟ばか

吉田勝次「洞窟ばか」

洞窟はやったことがないけど、むちゃくちゃ楽しそうだ。著者の洞窟愛に、読みつつ、くらくらしてしまう。自分は何をしているのか、本当にしたいことをして生きているのか、と。

少し前まで「探検」や「冒険」はもはや存在しないと思っていた。地理的な空白部は20世紀までにほぼ埋め尽くされ、21世紀の今、Google Earthで見ることができない土地は無いし、費用と時間さえあればどこにだって辿り着ける。と、思っていた。
“すきあらば 前人未踏の洞窟探検 洞窟ばか” の続きを読む

世界天才紀行

エリック・ワイナー「世界天才紀行」

「その国で尊ばれるものが、洗練される」

“天才”は不規則に生まれるのではない。特定の時期に、特定の場所に相次いで現れる。

アテネ、杭州、フィレンツェ、エディンバラ、カルカッタ、ウィーン、そして、シリコンバレー。

なぜ、その土地に天才が生まれたのだろう。紀元前のアテネも、ルネサンス前夜のフィレンツェも、当時の世界一の大都市でも先進都市でもなかったし、周辺の都市にすら後れを取っていた。18世紀のエディンバラや19世紀末のカルカッタは言うまでもない。シリコンバレーなんて、田舎のほぼ何もない土地に生まれた。

それぞれの土地でなぜ天才が育ったのか。その答えを求めて著者は旅に出る。
“世界天才紀行” の続きを読む

プログラム

土田英生「プログラム」

MONOの芝居はハズレがない。毎回、対話の面白さをたっぷり堪能させてくれる。しかも、ただ笑って終わりではなく、登場人物一人一人の置かれた立場やその言葉を通じて、現実の生活や社会についても振り返らされる。主宰の土田英生氏による初の小説であるこの作品も、それは変わらない。

舞台は近未来。移民が増えた日本社会に対する反動として、東京湾の人工島に“古き良き日本”の面影を残す「日本村」が作られる。そこには血統的に純粋な日本人のみが暮らすことを許され、外部からの観光客や、移民の血が混じる住民は例外として目印となるバッジの装着が命じられる。ある日、その島に設けられた“夢の次世代エネルギー”の発電所で事故が起こる。
“プログラム” の続きを読む

スミヤキストQの冒険

倉橋由美子「スミヤキストQの冒険」

架空の政治思想「スミヤキズム」を信奉する青年Qが、革命を起こすことを意図して孤島の感化院に赴任し、そこで院長やドクトルら奇妙な人物に出会う。頭でっかちなQは理論武装で現実に立ち向かい、周りの人間や状況に翻弄される。

ここに描かれる「スミヤキズム」は、現実のマルキシズムやトロツキズムを容易に連想させる。だとしたら、院児の肉を食料とする感化院の姿は権力や資本主義のメタファーか。確かに、資本主義は不条理でグロテスクで、トロツキズムは滑稽だ。

しかし、著者自身はこうした読み方を否定する。
“スミヤキストQの冒険” の続きを読む

墓地を見おろす家

小池真理子「墓地を見おろす家」

怖いと評判の作品。

墓地を見おろす新築マンションに越してきた一家の周りに奇妙な出来事が次々と起こる。エレベーターでしか出入りできない地下フロアに閉じ込められたり、エントランスのガラス戸に白い手形が次々と現れたりと、たしかにぞっとする場面はあるが、登場人物の描写や細部のリアリティ不足であまり怖いと思えなかった。

なぜ、の説明が無いまま恐ろしい出来事が続くのはホラーとしては欠点ではない(スティーブン・キングの作品なんて全部そうだ)が、細部に説得力がないと怖がれない。フィクションとはいえ、というより、フィクションだからこそ。
“墓地を見おろす家” の続きを読む

騎士団長殺し

村上春樹「騎士団長殺し」
第1部 顕れるイデア編第2部 遷ろうメタファー編

 

これを成熟とみるか、停滞とみるか。集大成ととるか、懐古趣味ととるか。評価が大きく分かれそうな印象を受けた。

妻が離れていき、社会と隔絶された孤独な環境に身を置く。やがて非日常への誘い手となる不思議な存在やミステリアスな少女が現れて……。さらに、井戸のような深い穴、得体の知れない暴力の予感、戦争の記憶、完璧で奇妙な隣人、様々な楽曲への言及など、過去の作品で繰り返されたモチーフが満載。

「神の子どもたちはみな踊る」以降、三人称を取り入れるなど、常に新しいものを書こうとする姿勢が目立っていただけに、久しぶりの一人称(「僕」ではなく「私」だけど)の文体と相まって、少し驚かされた。
“騎士団長殺し” の続きを読む