こんな夜更けにバナナかよ

渡辺一史「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」

人工呼吸器をつけながら、親元を離れて自由に生きることを求める鹿野さんと、それを24時間体制で支えるボランティア。介助する側とされる側が互いの関係を問い続けたことが、“自立”生活を可能にした。

美談でもアンチ美談でもない、著者自身の悩みも含めた誠実な筆致が印象的。
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2012年まとめ

2012年の読書数は130冊(前年比19冊減)、37016ページ(同約1万ページ減)。

古い本は除いて、印象に残ったもの。
まずノンフィクションから。

  

松本仁一「兵隊先生 沖縄戦、ある敗残兵の記録」
増田俊也「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」
高山文彦「エレクトラ―中上健次の生涯」
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大阪アースダイバー

中沢新一「大阪アースダイバー」

学術的な知見をベースに、どこまで妄想を広げられるかの挑戦とも言える“アースダイバー”。上町台地を南北に走る「アポロン軸」と生駒山に向かう東西の「ディオニュソス軸」、その両軸をもとに発展した大阪は複素数の精神を持ってる……著者本人は大まじめだろうけど、序盤からかなり飛ばし気味。悪い意味ではなく、かなり面白い。

古代に遡れば、大阪は南北軸より、東西軸に重きが置かれていること。真に無縁の地である砂州にこそ都市が築かれる、だからこそ大阪は東京とは違う根っからの都市なのだという指摘など、はっとさせられる。

こちらあみ子

今村夏子「こちらあみ子」

少しずつ、周りから浮いていってしまうあみ子の目に見える世界。ADHDやLDといった重いテーマに、救いも無い展開だが、説明の少ない描写がかえって鮮やかさを感じさせる。

併録の「ピクニック」を読むと、当たり障りのない遠ざけるような優しさが、誰かの居場所を擦り減らしていく、その感覚が表題作も含めて作者の根底にあるように感じる。

柿の種

寺田寅彦「柿の種」

物理学者で俳人でもある寺田寅彦。他愛ない日常の話題が多いが、短いコラムの見本と言えるほど、すとんと心の中に入ってくる。大正時代の文章とは思えない。

「脚を切断してしまった人が、時々、なくなっている足の先のかゆみや痛みを感じることがあるそうである。総入れ歯をした人が、どうかすると、その歯がずきずきうずくように感じることもあるそうである。こういう話を聞きながら、私はふと、出家遁世の人の心を想いみた。生命のある限り、世を捨てるということは、とてもできそうに思われない」 
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宇宙のみなしご

森絵都「宇宙のみなしご」

真夜中に弟と近所の家の屋根にこっそり登る中学生の陽子。悩みを抱えた他の子たちと知り合い、絆を深めていく。

以前読んだ直木賞作「風に舞い上がるビニールシート」は無個性に感じたが、この作品はとても繊細。児童文学だけど、大人が読んだ方が一種の寓話として心に響くのでは。

「自分の力できらきら輝いてないと、宇宙の暗闇にのみこまれて消えちゃんだよ」

TOKYO 0円ハウス 0円生活

坂口恭平「TOKYO 0円ハウス 0円生活」

隅田川沿いで暮らす「鈴木さん」。建材は全て拾い物、電気は不要バッテリーをガソリンスタンドで貰い、収入源のアルミ缶は拾うのではなく契約したマンションや家庭から回収する。徹底した合理性と生活を楽しむ知恵。都市の隙間で生き、文字通り“ホーム”のある“ホームレス”。自分で工夫して住まいを作るそのスタイルは、出来合いのものを選ぶだけの自由しかない現代で、より人間本来の生き方に近いように思える。住まいとはなんだろうと考えさせられる。

将棋の子

大崎善生「将棋の子」

プロ棋士を目指した少年のその後を訪ねたノンフィクション。

奨励会に所属し、26歳までに四段という厳しい昇段規定を達成できなければ、プロになる道はほぼ完全に閉ざされる。誕生日を迎えるたびに募る焦燥感。わずか一手の差から、青春のほとんどすべてをかけた夢が破れていく。その時、どう生きていくのか。
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民藝とは何か

柳宗悦「民藝とは何か」

本当の美は日用品の中にこそ宿る。昭和初期に民藝運動を提唱した柳宗悦。歯切れが良く、読んでいて気持ちが良い。

「なぜ特別な品物よりかえって普通の品物にかくも豊かな美が現れてくるか」 「前者の有想よりも後者の無想が、より清い境地にあるからです。意識よりも無心が、さらに深いものを含むからです。主我の念よりも忘我の方が、より深い基礎となるからです。在銘よりも無銘の方が、より安らかな境地にあるからです。作為よりも必然が、一層厚く美を保証するからです。個性よりも伝統が、より大きな根底と云えるからです。人知は賢くとも、より賢い叡智が自然に潜むからです」
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痴呆を生きるということ

小澤勲「痴呆を生きるということ」

痴呆について語られることは多いが、痴呆を病む人たちが何を見て、どう感じ、どのような世界に生きているかが語られることはほとんど無い。

記憶障害などの避けられない中核症状と、妄想や徘徊など、環境や個人によっても左右される周辺症状。認知レベルの障害が進んでも、「わたし」の情動性は保たれ、それが痴呆の当事者を瀬戸際に追い込んでいく。

一方、信頼で結ばれた援助者や環境が「認知の補装具」を提供できれば、多くの不自由は乗り越えられる。当事者の心に寄り添おうとする著者の視線はとてもやさしい。