戦場の精神史 武士道という幻影

佐伯真一「戦場の精神史 武士道という幻影」

多くの軍記物に記されつつも、あまり注目されない騙し討ちの場面。戦場で生まれた「武士道」は本来、虚偽・謀略を働いてでも、勝つこと、功名を立てることが第一であった。

合戦が遠い存在となった近世の太平の世で、当時は異端とも言える「葉隠」が生まれ、明治には新渡戸稲造の「武士道」が広く読まれるようになる。
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地図から消えた島々 幻の日本領と南洋探検家たち

長谷川亮一「地図から消えた島々 幻の日本領と南洋探検家たち」

明治末期に発見され、領有宣言までされた中ノ鳥島。1972年まで海図に残り続けたロス・ジャルディン諸島。アホウドリの捕獲や鉱物資源のために南進した商人たちと帝国主義が生み出した幻の島々。

実在しなかった島々を軸に、小笠原や大東諸島などがどのように日本領に編入されてきたのかも触れつつ、日本の大航海時代を描く一冊。
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収容所から来た遺書

辺見じゅん「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」

敗戦後、約60万の日本人がソ連各地に抑留され、再び故国の地を踏めなかった者も多い。

収容所で過酷な労働を強いられながら、俳句を詠むことで生きる希望と故郷への思いを忘れなかった人たちがいた。その「アムール句会」の中心となった男の遺書は、仲間たちが記憶して持ち帰り、敗戦から12年目に家族のもとへ届けられた。
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逃亡

吉村昭「逃亡」

ふとしたきっかけで軍用飛行機を爆破し、航空隊を脱走する運命を背負った男の記録。

飯場を転々としながら終戦を迎え、その後も身を隠すように暮らし続ける。戦時下、反戦主義者でもない普通の人間が少しずつ追い詰められていく様子を、反戦でも無い、愛国でも無い、思想をはさまない淡々とした筆致で綴っていく。その静かな文章が、状況に翻弄される人生の脆さを際立たせている。

人の意志よりも、些細な事や社会の状況が選択肢を奪っていく。

紅梅

津村節子「紅梅」

吉村昭が亡くなるまでの1年半。主人公に育子という三人称を設定しているが、登場人物を夫、息子、娘と呼ぶ語りは完全に一人称視点。舌癌と膵がんの闘病生活は凄絶なものだったろうが、淡々とした描写はそれを感じさせない。

「夫は、胸に埋め込んであるカテーテルポートを、ひきむしってしまった。育子には聞き取れなかったが、『もう死ぬ』と言った、と娘が育子に告げた」
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ナイン・ストーリーズ

J.D.サリンジャー「ナイン・ストーリーズ」

柴田元幸訳。サリンジャーの訳としてはフラットすぎるかもしれないけど、そのぶん、小説としての構成や人物造形の妙が際立つ。

結局多くの作品は残さなかった作家だが、この作品集を読むと、無限に作品を書けたのではないかと思える。巻頭に掲げられた禅の公案「両手を叩く音は知る、ならば片手を叩く音は?」。本来なら聞き得ない片手の音を追究するか、関係性を表す両手の音に注目するか、解釈は難しいが、「ライ麦畑」もこの作品集も、その問いに対するサリンジャーなりの試みなのだと思う。

屍者の帝国

伊藤計劃、円城塔「屍者の帝国」

伊藤計劃の残したプロローグに円城塔が書き継いだSF作品。屍者が動き、社会を支えている19世紀末の世界。屍者技術の根幹を成し、人間の意志を生み出す、菌株=任意のX=言葉、という設定、意識や言語といったモチーフは「虐殺器官」「ハーモニー」を連想させ、まさに伊藤計劃のもの。

一方で、細かな要素を盛り込むサービス精神(と、それ故の読みにくさ)は紛れもなく円城塔の作品。主人公はワトソン、他にもアリョーシャ、ダーウィン、ヴァン・ヘルシング……という実在、非実在の歴史上の人物が次々と登場する。

ゼロ! こぎゃんかわいか動物がなぜ死なねばならんと?

片野ゆか「ゼロ! こぎゃんかわいか動物がなぜ死なねばならんと?」

「明日の処分、本当になかとですか」

犬の殺処分ほぼゼロを達成した熊本市動物愛護センター。年間約700頭が週2回に分けてガス室に送られていた00年。引き取りを依頼する無責任な飼い主の説得と、収容された犬のトレーニング、譲渡先探しの徹底を経て、ガス室は稼働しなくなった。
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水に似た感情

中島らも「水に似た感情」

不思議な魅力にあふれた小説。自身の体験を書いているという意味では、エッセイやノンフィクションとも言えるかもしれない。

取材で訪れたバリを舞台に躁病が高じていく前半と、入院を経て島を再訪する、不思議な静けさに満ちた後半。シンプルな中島らもの文体も、特に特徴が無いのに、読みやすいだけでなく、読んでいて少しずつ心が落ち着いていく。
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