ゲゲゲのげ/瞼の女

渡辺えり子「ゲゲゲのげ/瞼の女」

「ゲゲゲのげ」は岸田賞受賞作。いじめられっ子の物語に鬼太郎と妖怪の戦いが混ざり合う。特定の主人公を立てるのではなくキュビズムのように多面的に描けないか考えていたと後書きに記しているように、夢のような脈絡のない展開で、次々と別の世界に連れていかれる。夢と同じく要約は難しい。「瞼の女」も同じ。過去、現在、未来、生まれなかったもの、生まれたかもしれないもの、それら全てが渾然と描かれる。

山猫の夏

船戸与一「山猫の夏」

南米の田舎町、いがみ合う両家の娘と息子が駆け落ち――というと「ロミオとジュリエット」のようだが、こちらはずっと凄惨。追跡のために呼ばれた山猫と呼ばれる日本人を中心に展開するハードボイルドな冒険小説。ヴェローナの両家は子供達の死で和解するが、この作品の舞台エクルウでは両家は殺し合いに突入し、そこに腐敗した軍や警察の欲望が交錯する。スケールの大きさに圧倒されつつ、700ページ超の大部を一気に読了。

錦繍

宮本輝「錦繍」

元夫婦の間で交わされる書簡体小説。肝心なことにはなかなか触れず、だからこそ切なく美しい文章。不倫の末の心中未遂事件など、物語そのものには決して共感できないのに心が揺さぶられるのは、手紙を交わす二人が、過去にとらわれつつも、その過去を憎みきれず、むしろその過去に背を押されるように生きているように見えるからだろうか。

なぜそれほど大切なのか自分でも分からない過去の情景。誰もがそんな記憶を心の内に持っていて、意識してもしなくても、その不思議な輝きこそが今を支えている。

廃用身

久坂部羊「廃用身」

高齢者医療に携わる主人公の青年医師は、ある日、麻痺などで回復の見込みが無い部位を切断する「ケア」を思いつく。患者にとっては、不随意運動や痛みから解放され、周囲の人間にとっては介護の負担が軽減されるという狙いだが……
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日本全国津々うりゃうりゃ

宮田珠己「日本全国津々うりゃうりゃ」

相変わらずの面白さ。旅エッセイといっても、旅行の中味ではなく、文章のとぼけ具合で読ませてしまう希有な書き手。青森に行って石を拾ったり、自宅の庭を一周するだけだったり、何かというと旅の内容そっちのけで自分の趣味の海の生き物のウンチクを延々と綴ったり。好みは分かれるだろうけど、個人的にはツボ。

桂春団治

富士正晴「桂春団治」

戦前の落語界で一世を風靡した桂春団治の評伝。上方落語を巡る状況は今に至るまで時代とともに目まぐるしく変わっており、戦前と刊行(1967年)当時のそれぞれの空気が感じられて興味深い。
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ネコババのいる町で

瀧澤美恵子「ネコババのいる町で」

奔放な母に捨てられるようにして叔母と祖母のもとに預けられ、二人と隣人のネコババらに見守られて少女は育つ。力まず軽やかな筆で、幼少期の思い出の断片を綴っていく。自分とは全く違う境涯の主人公だけど、不思議と共感し、引き込まれる。こうした作品は意外と少ない。
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「日本人の神」入門

島田裕巳「『日本人の神』入門 神道の歴史を読み解く」

日本には八百万の神がいるといっても、自分も含めて大抵の人は、せいぜい数柱の神の名前しか言えないのではないか。宗教というと伝統的なものと考えがちだが、日本の神々のあり方は古来、大きく変化してきた。仏教伝来、神仏習合、神仏分離などの変遷以外にも、祀られ方も神々の関係も今と往時では大きく異なっている。仏と神、神と霊、さまざまなものを習合させ、日本人の信仰は形成されてきた。
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花まんま

朱川湊人「花まんま」

少し不思議な体験の中に、人生の悲哀を滲ませた短編集。舞台は昭和の大阪の下町。子供の視点が瑞々しく、どこか懐かしい。表題作や「トカビの夜」、「送りん婆」など、甲乙付けがたく、短編小説の見本のような珠玉の6編。