高野秀行「謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉」
納豆というと日本独自の食べ物かと思ってしまうが、東南アジアの山岳部などにも日本とほぼ同じ納豆が存在するという。著者はかつてミャンマー北部、カチンの密林で出会った納豆を思い出し、納豆探求の旅に出る。
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読んだ本の記録。
高野秀行「謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉」
納豆というと日本独自の食べ物かと思ってしまうが、東南アジアの山岳部などにも日本とほぼ同じ納豆が存在するという。著者はかつてミャンマー北部、カチンの密林で出会った納豆を思い出し、納豆探求の旅に出る。
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中上健次 電子全集
待ちに待った電子全集の刊行が始まった(現在3巻まで)。
高校時代に当時手に入る作品は一通り読んだものの、絶版や文庫未収録などで未読の作品も結構あるため嬉しい。巻末の担当編集者や中上紀による文章は短いながらも必読の内容。中上の人物像などはそれなりに知られてはいるものの、身近な人々の文章でそれを読むとやはり生々しい。
担当編集者として「岬」を生みだした高橋一清氏に「初めて俺を人間あつかいしてくれた」と泣きじゃくったことや、芥川賞受賞直後、中上の暴力が原因で家族が家を出ていたことなど。
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カーラ・パワー「コーランには本当は何が書かれていたか?」
これまで訪れた土地の中でも、パキスタンやシリアといった保守的なイスラム地域こそが最も人が親切で、さらにこちらの思想や信仰にも寛容だったのはなぜかという疑問に答える一冊だった。
邦訳書にありがちな大胆なタイトルが付けられているが、原題は”If the oceans were ink”。コーランの解説書ではない。米国人ジャーナリストが、保守的なイスラム学者であるアクラム・ナドウィー師のもとに通い、コーランを学ぶ。その過程で出会った文化の相違や、さまざまな疑問を丁寧に綴っており、著者と読者が同じ道を歩くことができる優れたルポとなっている。
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三好十郎「浮標(ぶい)」
三好十郎の代表作の一つで、自身の体験を書いた私戯曲。肺を患う妻と画家の夫。生活は困窮し、社会は少しずつ戦争への道を進んでいく。失うことができないものを、今まさに失おうとしている。これほど言葉の一つ一つから切実さが伝わってくる作品は無い。最後、死期の迫る妻に夫が万葉集を読み聞かせながら感情をぶつける場面は、初めて戯曲を読んで涙が滲んだ。タイトルに掲げられたブイは、茫漠とした人生の海で、波間に漂う孤独な姿にも、希望の微かな手がかりの比喩のようにも思える。
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ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」
しようもないハウツー本のようなタイトルだが、教養とは何かを中心に据えた本格的なテクスト論。しかもかなり面白い。
そもそも「ある本を読んだ」というのはどういう状態を示すのか。読んだとしても記憶に残るのは一部でしかありえないし、それすらも次々と忘却の彼方に去っていく。著者はフロイトのscreen memoryの概念を借用し、我々が語ることができるのはその都度作られる幻想の書物についてだと言う。さらに世界に読み切れないほどの本がある以上、ある本を読むことはある本を読まないことと表裏一体であり、教養とは、書物を読んだかどうかではなく、書物の位置と、自分の位置を知っていることだと言う。
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V.E.フランクル「それでも人生にイエスと言う」
「夜と霧」のフランクルの講演録。自己啓発書のようなタイトルだが、これは強制収容所で歌われていた歌の一節から。
人間を手段として利用し、“価値のない命”を奪う優生思想と合理主義が行き着いた先で、生きる意味をどう見出すか。フランクルは収容所での体験と医師としての経験から数々の実例を紹介し、価値のない存在などないということを説く。特に障害者や病人などの命を奪った優生思想の誤りについては厳しく批判する。
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スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り ―未来の物語」
昨年のノーベル文学賞受賞作家。“チェルノブイリ後”を生きるベラルーシの人々の聞き書き。事故後の収束活動にほぼ強制的に動員された予備役の兵士達、夫を失った妻、先天的な病を持つ子を抱える母、 疎開先で差別された子、残された動物を殺して回った猟師、避難区域に戻って暮らすサマショールの人々…。読んでいて胸が締め付けられる。
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小熊英二「生きて帰ってきた男 ―ある日本兵の戦争と戦後」
著者の父の半生を聞き取りでまとめたもの。小熊英二の父、謙二は敗戦後にシベリアに抑留された経験を持つが、その生涯は平均的なもの(それは典型的なイメージ通りの人生ということを意味しない)で、決してドラマチックではない。だからこそ、一人の個人史から時代を描く試みが成功している。
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オリヴァー・サックス「妻を帽子とまちがえた男」
さまざまな神経疾患の症例を紹介した本。人の顔を顔として認識できなくなり(相貌失認)、タイトル通り妻を帽子と間違えるようになった男性を始め、短期の記憶が一切保持できず、何十年も前の時点で世界が止まっているコルサコフ症候群の男性や、「左」が視覚としても概念としても欠落した女性など。興味本位で読み始めたが、人間とは何か考えさせられる内容だった。
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庄野潤三「夕べの雲」
多摩丘陵の上の一軒家、夫婦と3人の子供。庭の風よけの木をどうするか悩んだり、子供が兄弟でじゃれ合っていたり、駅前で梨を買ったり……。何でもないようなことが幸せ、という内容が続く。何かを思い立っても、いつかそのうち、で穏やかな日々は過ぎていく。 団地造成で切り開かれていく近くの山の描写が唯一その時間が失われることを暗示するかのように時折挟まれる。
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