空白の天気図 核と災害1945・8・6/9・17

柳田邦男「空白の天気図 核と災害1945・8・6/9・17」

原爆投下と終戦を挟んだ混乱期、1日も欠かすこと無く観測業務を続けた広島気象台の台員たち。通信も設備も壊滅した中で天気図は描けず、予報業務も行えなかった。9月17日の枕崎台風は、広島で上陸地の九州よりはるかに多い約2千人の死者行方不明者を出す。
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A3

森達也「A3」

何も解明されないままほぼ終結したオウム裁判。独房で糞尿を垂れ流し、面会時には自慰行為に及ぶ……麻原は公判の途中で訴訟能力(責任能力ではない)を失っていたのではないか。

裁判に限らず、オウムはあたかも“例外”として扱われ、信者には建前の人権すら認められない。懲罰感情ばかりが先走りする社会に著者は異議を唱える。
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空へ エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか

ジョン・クラカワー「空へ ‐エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか」

96年春、12人の死者を出したエベレスト。クラカワーは、急増する営業遠征隊の問題について書こうとロブ・ホールの隊に参加し、登頂に成功する。下山時に天候が悪化し、遠征隊の6人の登頂者のうち、ロブ・ホールや難波康子を含む4人が死亡。“死の領域”で予期せぬ事態に陥り、低酸素で意識が薄れ、錯乱し、力尽きていくメンバー。たった数十分の差と偶然が生死を分けた。

優れたライターが大量遭難の当事者となり、かつ生還したことによって書かれた奇跡的な一冊。主観的すぎる部分もあるけど、だからこそ、貴重で凄絶な記録。

こんな夜更けにバナナかよ

渡辺一史「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」

人工呼吸器をつけながら、親元を離れて自由に生きることを求める鹿野さんと、それを24時間体制で支えるボランティア。介助する側とされる側が互いの関係を問い続けたことが、“自立”生活を可能にした。

美談でもアンチ美談でもない、著者自身の悩みも含めた誠実な筆致が印象的。
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TOKYO 0円ハウス 0円生活

坂口恭平「TOKYO 0円ハウス 0円生活」

隅田川沿いで暮らす「鈴木さん」。建材は全て拾い物、電気は不要バッテリーをガソリンスタンドで貰い、収入源のアルミ缶は拾うのではなく契約したマンションや家庭から回収する。徹底した合理性と生活を楽しむ知恵。都市の隙間で生き、文字通り“ホーム”のある“ホームレス”。自分で工夫して住まいを作るそのスタイルは、出来合いのものを選ぶだけの自由しかない現代で、より人間本来の生き方に近いように思える。住まいとはなんだろうと考えさせられる。

将棋の子

大崎善生「将棋の子」

プロ棋士を目指した少年のその後を訪ねたノンフィクション。

奨励会に所属し、26歳までに四段という厳しい昇段規定を達成できなければ、プロになる道はほぼ完全に閉ざされる。誕生日を迎えるたびに募る焦燥感。わずか一手の差から、青春のほとんどすべてをかけた夢が破れていく。その時、どう生きていくのか。
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洗脳の楽園

米本和広「新装版 洗脳の楽園」

「無所有一体」を掲げ、我執=自我を捨てた“ユートピア”ヤマギシ会。解離状態に陥らせる「特講」、徐々に生まれる上下関係や命令の形をとらない強制力など、二十世紀、世界各地で悲劇を招いた社会主義の実験を彷彿とさせる。
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石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀

石井光太責任編集「ノンフィクション新世紀 ‐世界を変える、現実を書く。」

ガイド本と思って甘く見るなかれ。とても実した内容。松本仁一や森達也、高木徹、猪瀬直樹らのインタビューは方法論や人柄が分かって面白いし、作家らが選ぶベストはそれぞれ30作品も挙げられていて、趣味が分かる上に読書ガイドとしても実用的。

巻末のノンフィクション関連年譜も白眉の出来。読みたい、読んでいない本が多すぎる。ノンフィクションガイドは他にもあるけど、現時点では一番では。

画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録

山本作兵衛「新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録」

国内で初めて世界記憶遺産に登録された元炭坑夫の画文集。半世紀以上をヤマで暮らし、ヤマが消えた後、夜警をしながら残した大量の記録。労働の光景から事故、道具、俗信……決して“写実的”とは言えない絵だが、労働者自身による記録は圧倒的な迫力がある。
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収容所から来た遺書

辺見じゅん「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」

敗戦後、約60万の日本人がソ連各地に抑留され、再び故国の地を踏めなかった者も多い。

収容所で過酷な労働を強いられながら、俳句を詠むことで生きる希望と故郷への思いを忘れなかった人たちがいた。その「アムール句会」の中心となった男の遺書は、仲間たちが記憶して持ち帰り、敗戦から12年目に家族のもとへ届けられた。
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