愛撫 静物 庄野潤三初期作品集

「愛撫 静物 庄野潤三初期作品集」

庄野潤三はなかなか不思議な作家で、平易で親しみやすい文章の中に、どこか捉えどころのない不穏さが漂っている。

表題作の一つ「静物」は、子どもたちとの他愛もない断片的な会話を連ねた作品。意味深なようで、実は意味もなくただ日常を綴っただけかもしれない気もする奇妙な手触り。
“愛撫 静物 庄野潤三初期作品集” の続きを読む

虫喰仙次

色川武大「虫喰仙次」

小説には作家のさまざまなコンプレックスが書かれ、あるいは滲み出ている。人に理解されない劣等感を抱えるということは、非常に孤独なことだ。だからこそ、その複雑な感情を作品の中に見つけられることは読書の大きな効用の一つでもある。

表題作は「小説 阿佐田哲也」にも登場した男の話。博奕仲間で、会社での出世競争に敗れた男の半生を通じて、著者らしい社会観が綴られている。
“虫喰仙次” の続きを読む

密林の語り部

バルガス・リョサ「密林の語り部」

ペルーの作家、バルガス・リョサの代表作の一つ。都会の生活と出自を捨て、密林の語り部となって新たな人生を生きることになった青年を巡る物語。私小説風、あるいはノンフィクション風の硬質な文体で語られる書き手と青年の思い出話と、語り部による脈絡のない神話、密林の世間話が交互に綴られる。
“密林の語り部” の続きを読む

犬はいつも足元にいて

大森兄弟「犬はいつも足元にいて」

兄弟作家のデビュー作。文藝賞受賞作。共作の成果だろう削ぎ落とした文体で、離婚した両親、粘着質の友人との関係を軸に、思春期の難しい感情を浮かび上がらせている。

タイトルからは、ほのぼのとした日常系をイメージするが、全編を通して不穏な空気が漂い、物語は明確な説明がないまま終わりを迎える。
“犬はいつも足元にいて” の続きを読む

風の歌を聴け

村上春樹「風の歌を聴け」

「羊をめぐる冒険」以降の作品は時々読み返してきたが、デビュー作である「風の歌を聴け」を開くのはずいぶん久しぶり。

1979年発表。初期の作品に共通する「僕」と「鼠」のひと夏の物語で、著者が20代の最後に書いた感傷的な作家宣言とも言える作品。処女作にはその作家の全てが詰まっているとよく言われるが、その言葉通り、冒頭の文章には著者の全ての作品に共通する姿勢が刻まれている。

「今、僕は語ろうと思う。(中略)うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない」
“風の歌を聴け” の続きを読む

アラビアの夜の種族

古川日出男「アラビアの夜の種族」

古川日出男版「千夜一夜物語」。2段組約700ページ。文庫版は3巻で1000ページを超す大部ながら、夢中になって読み進めた。日本推理作家協会賞と日本SF大賞受賞と聞くとまるでジャンルが分からない作品だが、ファンタジー小説と呼ぶのが適当だろう。

ナポレオン軍の侵攻が迫るカイロで、奴隷出身の執事アイユーブは、類い希な技能を持つ語り部とともに、読んだものを骨抜きにする「災厄の書」の作成を始める。誰もが魅了される物語と前置きして作中作を挿入することは、作家としては非常に大きな挑戦だが、著者の奔放な想像力は圧倒的な熱量の冒険譚を生み出した。
“アラビアの夜の種族” の続きを読む

臣女

吉村萬壱「臣女」

夫の不倫をきっかけに精神に異常を来し、身体の巨大化が始まった妻との日々。

およそ人間とは思えないサイズまで肥大化していくという非現実的な設定だが、一人称の筆は、その妻との生活の苦労を淡々と、グロテスクに綴っていく。
“臣女” の続きを読む

彼の娘

飴屋法水「彼の娘」

飴屋法水は1961年生まれ。唐十郎の状況劇場を経て劇団グランギニョルを旗揚げし、その後、現代美術の領域に移行して先鋭的な表現を次々と打ち出してきた。95年、珍獣を扱うペットショップを開き、突如表現の場から身を引いたが、近年再び活動を再開。2013年に福島県いわき市の高校生と作り上げた「ブルーシート」は岸田國士戯曲賞を受賞した。

「彼の娘」の“彼”は著者の飴屋法水自身で、“娘”は彼が45歳の時に授かった“くんちゃん”のこと。

大切なもの、大切な人は誰にでもあるが、それは主観的で個人的なものでしかない。著者の思想の根本にあるのが、どんな命も究極的には等価であるということ。娘との日々を書いた喜びに満ちた私小説でありながら、その筆は常に客観的に彼と彼女の関係を綴っていく。
“彼の娘” の続きを読む