洞窟はやったことがないけど、むちゃくちゃ楽しそうだ。著者の洞窟愛に、読みつつ、くらくらしてしまう。自分は何をしているのか、本当にしたいことをして生きているのか、と。
少し前まで「探検」や「冒険」はもはや存在しないと思っていた。地理的な空白部は20世紀までにほぼ埋め尽くされ、21世紀の今、Google Earthで見ることができない土地は無いし、費用と時間さえあればどこにだって辿り着ける。と、思っていた。
“すきあらば 前人未踏の洞窟探検 洞窟ばか” の続きを読む
読んだ本の記録。
洞窟はやったことがないけど、むちゃくちゃ楽しそうだ。著者の洞窟愛に、読みつつ、くらくらしてしまう。自分は何をしているのか、本当にしたいことをして生きているのか、と。
少し前まで「探検」や「冒険」はもはや存在しないと思っていた。地理的な空白部は20世紀までにほぼ埋め尽くされ、21世紀の今、Google Earthで見ることができない土地は無いし、費用と時間さえあればどこにだって辿り着ける。と、思っていた。
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「その国で尊ばれるものが、洗練される」
“天才”は不規則に生まれるのではない。特定の時期に、特定の場所に相次いで現れる。
アテネ、杭州、フィレンツェ、エディンバラ、カルカッタ、ウィーン、そして、シリコンバレー。
なぜ、その土地に天才が生まれたのだろう。紀元前のアテネも、ルネサンス前夜のフィレンツェも、当時の世界一の大都市でも先進都市でもなかったし、周辺の都市にすら後れを取っていた。18世紀のエディンバラや19世紀末のカルカッタは言うまでもない。シリコンバレーなんて、田舎のほぼ何もない土地に生まれた。
それぞれの土地でなぜ天才が育ったのか。その答えを求めて著者は旅に出る。
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現代口語訳 「秋山記行」 (信濃古典読み物叢書8)
昔の人の旅行記を読むのは面白い。
「我々里の者は、さまざまな悩みを心身にため、欲望をほしいままにし、鳥や魚の肉を食べ散らし、悩みや悲しみで心を迷わして、日々暮らしている。これでは夏の虫が火に入り、流れの魚が餌にかかるように寿命を縮めるばかりである。少しでも暇を手にすると、私のように金銭欲や名誉欲に走り――」「できるなら、私もこの秋山に庵を結んで、中津川の清流で命の洗濯をしたい」
都市生活に疲れた現代人の嘆きのようなこの文章、いつ書かれたものだろうか。
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白洲正子「西行」
西行の評伝。後半からはゆかりの地を訪ねる紀行文の色が強くなる。西行は歌を詠みながら日本各地を漂泊した。武士でありながら出家し、そしてなお俗世への思いも捨てきれない。自分の欲望を持てあましつつ、それを受け入れて生きる。大変人間的な人物で、自らが歌を詠むことを仏を彫る心地に喩えた。
“西行” の続きを読む
沢木耕太郎「旅する力―深夜特急ノート」
自伝的エッセイであり、「深夜特急」のこぼれ話を集めた1冊。本編から20年以上を経た08年の刊。どうして旅に目覚めたのかから、初めての一人旅、旅に出る前の仕事、なぜ「深夜特急」を書いたのか――と、あらゆる質問に答えるように、誠実に丁寧に自分を語っている。
“旅する力―深夜特急ノート” の続きを読む
沢木耕太郎「深夜特急6 南ヨーロッパ・ロンドン」
最終巻。長い旅は終え時が難しい。著者は前巻で旅を人生に喩え、何を見ても新鮮な幼年期、青年期から、通り過ぎた景色ばかりが鮮明となる壮年期、老年期があると書いているが、この最終刊に書かれているのはまさに壮年期から老年期。イタリアからフランス南部に入り、旅の最終目的地ロンドンが目の前に迫る中、旅を終える決断を先延ばしにしてスペインへ。イベリア半島を横断し、その果てのサグレスで、ふっと「これで終わりにしようかな」という瞬間が訪れる。
6巻を一気に読み終え、自分も旅をしたような心地よい疲れがある。読んで面白い旅行記は他にもあるけど、この読後感はあまり無い。
沢木耕太郎「深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海」
五巻はトルコからギリシャへ。アジアが終わり、同時に旅の終わりが近づいている――あるいはもうほぼ終わってしまったという一抹の寂しさが文章に滲む。
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沢木耕太郎「深夜特急4 シルクロード」
四巻はなんと言ってもアフガニスタンと革命前のイランの様子が書かれているのが面白い。まだ日本人旅行者は多くない時代だが、ヒッピーが世界中を旅し、カトマンズやバラナシのように東西を行き来する旅人の逗留地となっていたカブール。都会の空気が漂うテヘラン。この時代にこの地域を旅してみたかった。
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沢木耕太郎「深夜特急3 インド・ネパール」
三巻はインド横断とカトマンズ。70年代当時の混沌としたカルカッタやバラナシの様子が伝わってきて興味深い。二巻に続いて印象的なのが、汚い食事や野宿などの一つ一つについて、文句や苦労を語るのではなく、その都度、また一つ自由になれた気がしたと記していること。たしかに自分も安宿であればあるほど、そこに自由を感じていた。場末の宿屋の汚いベッドの上で、あるいは駅の軒下でうずくまって、自分はどこにだって行けるという気がした。
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