ナイン・ストーリーズ

J.D.サリンジャー「ナイン・ストーリーズ」

柴田元幸訳。サリンジャーの訳としてはフラットすぎるかもしれないけど、そのぶん、小説としての構成や人物造形の妙が際立つ。

結局多くの作品は残さなかった作家だが、この作品集を読むと、無限に作品を書けたのではないかと思える。巻頭に掲げられた禅の公案「両手を叩く音は知る、ならば片手を叩く音は?」。本来なら聞き得ない片手の音を追究するか、関係性を表す両手の音に注目するか、解釈は難しいが、「ライ麦畑」もこの作品集も、その問いに対するサリンジャーなりの試みなのだと思う。

屍者の帝国

伊藤計劃、円城塔「屍者の帝国」

伊藤計劃の残したプロローグに円城塔が書き継いだSF作品。屍者が動き、社会を支えている19世紀末の世界。屍者技術の根幹を成し、人間の意志を生み出す、菌株=任意のX=言葉、という設定、意識や言語といったモチーフは「虐殺器官」「ハーモニー」を連想させ、まさに伊藤計劃のもの。

一方で、細かな要素を盛り込むサービス精神(と、それ故の読みにくさ)は紛れもなく円城塔の作品。主人公はワトソン、他にもアリョーシャ、ダーウィン、ヴァン・ヘルシング……という実在、非実在の歴史上の人物が次々と登場する。

歴史を考えるヒント

網野善彦「歴史を考えるヒント」

日本という国号が定められ「日本人」が生まれたのはいつなのか、この問いにまともに答えることができる人がどれだけいるだろうか。関東や関西といった地域名がいかに生まれたか。自由、人民、土民、落とす、募るの本来の意味は――。

日本の歴史教育は左右問わず、自虐かどうかよりも根本的なところでずれている。近代の農本主義に基づく百姓=農民という誤解が歴史観をいかに歪めたか。為政者の意志や外国語との出会いで言葉の意味は移り変わり、過去の姿も変わって見えてしまう。言葉を軸に歴史を考える、網野善彦のエッセンスが詰まった一冊。

ゼロ! こぎゃんかわいか動物がなぜ死なねばならんと?

片野ゆか「ゼロ! こぎゃんかわいか動物がなぜ死なねばならんと?」

「明日の処分、本当になかとですか」

犬の殺処分ほぼゼロを達成した熊本市動物愛護センター。年間約700頭が週2回に分けてガス室に送られていた00年。引き取りを依頼する無責任な飼い主の説得と、収容された犬のトレーニング、譲渡先探しの徹底を経て、ガス室は稼働しなくなった。
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水に似た感情

中島らも「水に似た感情」

不思議な魅力にあふれた小説。自身の体験を書いているという意味では、エッセイやノンフィクションとも言えるかもしれない。

取材で訪れたバリを舞台に躁病が高じていく前半と、入院を経て島を再訪する、不思議な静けさに満ちた後半。シンプルな中島らもの文体も、特に特徴が無いのに、読みやすいだけでなく、読んでいて少しずつ心が落ち着いていく。
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華氏451度

レイ・ブラッドベリ「華氏451度」

ブラッドベリの代表作の一つ。読書も書物の所有も禁じられた社会で、書き記すこと、を描いたかなりストレートな寓話だけど、本の消えた社会の光景は、現実の現代と怖いほど似ている。紙が燃え上がる温度を据えたタイトルは20世紀の小説でもトップクラスのセンスだと思う。

「わしたちには、いまやったことの愚劣さがわかるのだ。一千年ものながいあいだ、やりとおしてきた行為の愚劣さがわかるんだよ。それが理解できて、しかも、そのばかな結果を見ておるので、いつかは、やめるときがくる」