邂逅の森

熊谷達也「邂逅の森」

誰かの人生を追体験できる小説は少ない。優れた作品であっても、大抵は一歩引いた立場からの鑑賞にとどまる。

舞台は大正から昭和にかけての東北。秋田・阿仁のマタギの家に生まれた松橋富治は、身分違いの恋で村を追われ、猟を捨て採鉱夫となる。やがて、そこで知り合った弟分の村に落ち着き、狩猟組の頭領としてマタギの生活に戻る。
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評伝 石牟礼道子―渚に立つひと

米本浩二「評伝 石牟礼道子―渚に立つひと」

代表作の「苦海浄土」は言うまでも無く、「椿の海の記」や「十六夜橋」、自伝の「葭の渚」まで、石牟礼道子は常に“近代”を問うてきた。夏目漱石から村上春樹、カズオ・イシグロに至るまで、いずれの作家も“近代”や“現代”と人間との関係を描いてきたと言えるが、石牟礼道子ほど正面から対峙した作家はいない。
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日本三文オペラ

開高健「日本三文オペラ」

小松左京の「日本アパッチ族」に続いて、開高健がアパッチ族を題材に書いた小説「日本三文オペラ」。小松作品のような架空の日本ではなく、現実のアパッチ族のことが細かく記されている。

ルンペンのフクスケがスカウトされ、アパッチ部落を訪れるところから物語は始まる。といっても壮大なドラマが描かれるわけではない。著者の後の作品にもつながるルポルタージュ的な描写で、フクスケの視点を通じて人々の暮らしが描かれる。錆びた鉄屑やモツ焼きの匂いが漂ってきそうな細密な描写は、まさに著者の真骨頂。
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梅里雪山 十七人の友を探して

小林尚礼「梅里雪山 十七人の友を探して」

1991年、京大学士山岳会と中国登山協会の合同登山隊17人が、未踏峰の梅里雪山で消息を絶つ大規模な遭難事故があった。遭難で仲間を失った著者は、再度日中合同で登頂を目指した96年の登山隊に参加したものの、天候の悪化で断念。その後、98年夏に氷河の下流で遺体が見つかったことを機に麓の村に通い始める。

一人で村に住みながら、遺体と遺品を探し歩く日々。聖山を汚した登山隊への地元の反発は根強かったが、徐々に村民との間に友情が育まれていく。そして村で暮らし、山の周囲を巡る巡礼路を歩くうちに、著者の心の中で、登山の対象としての「梅里雪山」が聖山「カワカブ」へと変わっていく。
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海も暮れきる

吉村昭「海も暮れきる」

「こんなよい月を一人で見て寝る」
「咳をしても一人」

東京帝大を卒業し、大手保険会社のエリートコースを歩みながら、酒におぼれ、仕事を捨て、家族に捨てられ、小豆島の小さな庵で最期を迎えた尾崎放哉。

種田山頭火と並ぶ自由律俳句の大家でありながら、人間的には極めて厄介な人物であったことが知られている。吉村昭によるこの評伝小説では、その不安定な性格が細かく描写されている。タイトルは「障子あけて置く海も暮れきる」から。
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洞窟オジさん

加村一馬「洞窟オジさん」

著者の加村一馬氏は1946年、群馬県生まれ。13歳の時に、両親の虐待から逃れて足尾銅山の廃坑に住み着き、その後も富士の樹海や川辺を転々として、ホームレスとして半世紀近くを生きてきた。

ヘビやネズミ、カタツムリ、カエルを食べ、時には山で採った山菜を売ってわずかな収入を得る。やがて茨城の小貝川の河川敷に小屋を建てて暮らすようになり、57歳の時に窃盗未遂で逮捕され、取り調べと公判を通じて半生が明らかになった。
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戦禍に生きた演劇人たち 演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇

堀川惠子「戦禍に生きた演劇人たち 演出家・八田元夫と『桜隊』の悲劇」

広島で被爆し、全滅した劇団「桜隊」は、井上ひさしの「紙屋町さくらホテル」や新藤兼人監督の映画で取り上げられてきたが、いずれも原爆の悲劇としての側面が強く、なぜ彼らが広島にいたのか、その背景にある戦前・戦中の苛烈な思想統制、演劇人への弾圧については資料の不足からあまり描かれてこなかった。

著者は、桜隊の演出を手がけていた八田元夫の膨大なメモや未発表原稿を発掘し、彼の生涯を縦軸に、戦前から戦後に至る表現者たちの受難の歴史を現代によみがえらせた。
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