きもの

幸田文「きもの」

明治の末に東京の下町に生れたるつ子。着物の肌触りとともに残った数々の記憶。祖母の姿勢に生きていく上でのたしなみや気構えを学び、姉たちの姿から成長して人が変わっていくことの、両親の姿から生きることの悲哀を感じ、少しずつ成長していく。

何をどう着るかは、どう生きるかの現れでもある。「崩れ」でも感じたが、幸田文の感性の鋭さと、それを文章で表現する際の瑞々しさは全く古さや老いを感じさせない。江戸っ子の気風のようなものかもしれない。終盤の関東大震災の描写もとても現実感を持って迫ってくる。

一の糸

有吉佐和子「一の糸」

芸道一筋に生きた文楽三味線弾きの露沢徳兵衛と、その後添えとして生涯をささげた酒屋の箱入り娘の茜の一生を、敗戦、文楽会の分裂、鶴澤清六と山城少掾の決別など、現実の出来事をモデルに交え描いた長篇小説。
“一の糸” の続きを読む

完本 八犬伝の世界

高田衛「完本 八犬伝の世界」

あまりに長大な「八犬伝」の世界。水滸伝や民話、他の読本など、どこに典拠があり、その要素を馬琴がいかに稗史として組み立てていったのかを徹底的に読み解いていく。スリリングで濃密。この手の考察本としては異例なほど面白い。

伏姫・八房物語を人獣交婚ではなく「人獣交感」に昇華させた馬琴の卓越した手腕。信乃に反映された馬琴自身の生い立ちなど、どれも興味深い。

謎の独立国家ソマリランド

高野秀行「謎の独立国家ソマリランド」

圧巻。事実上の独立国家ソマリランド、海賊国家プントランド、そして無政府地帯。不可能と思えるような地域を旅してエンターテイメントに仕立てあげながら、氏族の構造や政治体制、歴史にまで踏み込んでいて、著者の取材力に脱帽。現在の“ソマリア”に関するほぼ唯一の日本語文献として、資料的な価値も高い。
“謎の独立国家ソマリランド” の続きを読む

テロルの決算

沢木耕太郎「テロルの決算」

17歳のテロリストと左派の老政治家。演説会の壇上で山口二矢の短刀が浅沼稲次郎の胸を貫く一瞬まで、二人の人生を丁寧に描いたノンフィクション。

山口二矢の心情だけでなく、“庶民”として戦争協力の道を歩まざるを得なかった苦悩など、浅沼の評伝としても非常に興味深い。

一つの事件を扱ったノンフィクションとしては、これ以上のものは書き得ないのでは。新聞でも何でも、加害者の報じ方の安っぽさと想像力の欠如が、被害者の人生をも貶めている。

下下戦記

吉田司「下下戦記」

「苦海浄土」が人間の尊厳を奪う水俣病の悲惨さを描くと同時に逆説的な人間賛歌となっているのに対し、「下下戦記」は文学的に昇華されることを徹底的に拒否している。
“下下戦記” の続きを読む

こんな夜更けにバナナかよ

渡辺一史「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」

人工呼吸器をつけながら、親元を離れて自由に生きることを求める鹿野さんと、それを24時間体制で支えるボランティア。介助する側とされる側が互いの関係を問い続けたことが、“自立”生活を可能にした。

美談でもアンチ美談でもない、著者自身の悩みも含めた誠実な筆致が印象的。
“こんな夜更けにバナナかよ” の続きを読む

画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録

山本作兵衛「新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録」

国内で初めて世界記憶遺産に登録された元炭坑夫の画文集。半世紀以上をヤマで暮らし、ヤマが消えた後、夜警をしながら残した大量の記録。労働の光景から事故、道具、俗信……決して“写実的”とは言えない絵だが、労働者自身による記録は圧倒的な迫力がある。
“画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録” の続きを読む

西南シルクロードは密林に消える

高野秀行「西南シルクロードは密林に消える」

忘れ去られ、密林に消えた西南シルクロード。中国からビルマに密入国し、カチンやナガのゲリラの手引きでジャングルを横断し、インドへ。あまりに無謀な旅なのに、深刻さや悲壮感があまり無いのが著者らしい。
“西南シルクロードは密林に消える” の続きを読む