伊豆・湯ケ島で過ごした幼年時代を描いた井上靖の自伝的小説。血の繫がりのない祖母との関係を中心に、死や没落といった人生の悲哀に直面した少年の心の動きや、町の子供へのコンプレックス、離れて暮らす両親への愛憎が瑞々しく丁寧な筆で綴られている。
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ビニール傘
社会学者としてさまざまな人生に触れてきた著者の小説デビュー作。エッセイ「断片的なものの社会学」で綴られたものと同じまなざしで、都会の片隅に寄る辺なく漂う人生が描かれている。
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あすなろ物語
自分が何者にもなれないのかもしれないという現実を、人が初めて見つめるのはいつのことだろうか。
「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって!」
翌檜(あすなろ)の名は「明日は檜になろう」という言葉から来ているという。明日は何者かになろうと夢見る青年たちの姿を描く井上靖の初期の代表作。六つの短編で、少年・鮎太の成長を綴る。
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夏の砦
辻邦生の初期の長編。中世のタピスリに惹かれ、北欧で染織工芸を学ぶ支倉冬子の魂の遍歴を、彼女が失踪する前に残した膨大な手記と手紙から浮かび上がらせる。
知人男性の視点を通して一筋の物語になってはいるが、おそらくこの小説は、どこか一部分を切り出しても成立するだろう。著者自身の死生観や芸術論が、作品の隅々にまで刻み込まれている。
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しあわせの理由
「ディアスポラ」に続いて、グレッグ・イーガンをもう一冊。
表題作を含む9編を収録した日本オリジナルの短編集。「ディアスポラ」は物理学や宇宙論の知識が無いと理解できない描写も多かったが、こちらは特定のアイデアや疑問をもとに発展させた作品が中心で、SFになじみのない読者でも取っつきやすい一冊となっている。
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ディアスポラ
ちょっと何言ってるか分からないという小説はいろいろあるけれど、グレッグ・イーガンの代表作とも言えるこの「ディアスポラ」もなかなか。といっても文学的な表現が意味不明というのではなく、文章は明解だが、膨大な物理学的、宇宙論的考察に自分のような文系人間は全くついていけない。ハードSFの極北。
肉体を捨てて自らをソフトウェア化し、ポリスと呼ばれるネットワーク上で生きる人々が人類の主流を成す世界で、地上には一握りの肉体人が遺伝子的改変を経て残っている。この設定だけなら古典的だが、イーガンの想像力はここから遥か遠くへと旅をする。
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夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語
カズオ・イシグロ「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」
カズオ・イシグロの短編集。音楽をめぐる五つの物語。
「わたしを離さないで」などを読むと長編の作家という気がするし、実際に発表されている作品もほとんどが長編だが、この作品集を読むと、その魅力は作の長短には関係ないということが分かる。珠玉の一冊。
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花のさかりは地下道で
文章に触れ、この人のようなまなざしを持ちたいと感じる人が何人かいる。
ここ数年、色川武大の作品に強く惹かれる。雀聖・阿佐田哲也としての顔が有名だが、本名の色川で発表した作品群には、人生や社会に対する諦観が冷たさではなく、どこか温かなまなざしで綴られている。
「花のさかりは地下道で」は幼年期や戦後まもない頃の思い出を中心とした12本の短編集。表題作には、地下道で寝起きしていた頃に知り合った「アッケラ」という娼婦のことが書かれている。
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魂でもいいから、そばにいて ―3・11後の霊体験を聞く
奥野修司「魂でもいいから、そばにいて―3・11後の霊体験を聞く」
「霊体験」と聞くとオカルトか特別な現象のようだが、ここに記録されているのは、人が大切な誰かを失った時にそれをどう受け入れて生きていくかという、紛れもない現実だ。
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私の旧約聖書
色川武大という信仰からは最も遠いイメージを持つ作家が綴る、旧約聖書についての随想。
阿佐田哲也の筆名でも知られる著者は、博奕で生きていた若い頃、偶然に近いきっかけで旧約聖書を手に取り、人間の叡智に恐れを抱いたという。
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