精霊の守り人

上橋菜穂子「精霊の守り人」

久しぶりにファンタジーを読みたいと思って、読んだことの無かった著者の代表作を。ストレートな異世界ファンタジーだけど、その背景に文化人類学的、構造主義的な骨太の世界観があって、現実のこの世界を描いているとも感じられる。大人になるとなかなか夢中になれるファンタジーって見つからないけど、これは3年くらい前に読んだル=グウィンの「西のはての年代記」に劣らぬ面白さ。

戦場の軍法会議―日本兵はなぜ処刑されたのか

NHK取材班、北博昭「戦場の軍法会議 ―日本兵はなぜ処刑されたのか」

NHKのドキュメンタリーの書籍版。戦時中の軍法会議についての証言は極めて少なく、関連文書も終戦時に組織的に焼却されてしまったため、残っていない。法務官の生き残りの多くは戦後法曹界のエリートになっていて(このあたりは医学界の闇とも似ている)、口を閉ざしてきた。
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神道の逆襲

菅野覚明「神道の逆襲」

ポップな(少しださい)タイトルの割には中身は全然ポップではなく、しっかりとした神道思想史。伊勢神道、吉田神道、垂加神道から、本居宣長や平田篤胤らの神道解釈まで、日本人にとって神様とは何か、の思想を追っていく。個人的には、国家神道や現在の神社神道がなぜ成立したのかを含めて神祇信仰全体の歴史を知りたくて手にとった本だが、そうした総合的な視野で書かれたものではなく、あくまで思想史。政治や社会情勢に対する言及は少ない。

秋の日本

ピエール・ロチ「秋の日本」

仏作家、ピエール・ロティの日本滞在記。

明治期に日本を訪れて記録を残した外国人は大勢いるが、ロティはラフカディオ・ハーンなどと比べるとかなり率直な旅行者の視線=軽侮や驚き混じりの感想を記していて、だからこそ、現代の旅行記と似た感覚で面白く読める。京都駅で人力車の客引きに囲まれる所など、バックパッカーのインド旅行記のよう。
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黒い雨

井伏鱒二「黒い雨」

大部分が日記体で、小説として奇をてらったところは一切無く、だからこそ読み物としては忍耐がいる(原典となる日記があるので、一般的な小説とはそもそも成り立ちが違うけど)。文章は、明るくも、暗くもない。人物描写もフラットで、(表面的には)何の思想も無い。そこに地獄が描かれているのに物語の展開は劇的とはほど遠く、単調ですらある。だからこそ、原爆の惨禍は地獄を見せて終わったのではなく、地獄の中でも日常は続いていくということを強く感じさせる。

開幕ベルは華やかに

有吉佐和子「開幕ベルは華やかに」

「一の糸」や「紀ノ川」といった作品の一方で、こうしたミステリー風の作品も書いてしまう有吉佐和子の多才さに驚かされる。といってもミステリー要素はおまけで、あくまで商業演劇の舞台裏を描いた人間ドラマ。東竹、松宝、中村勘十郎、八重垣光子と、モデルがはっきりしているのも面白い。大御所ふたり、勘十郎と光子は舞台裏でバチバチやりあいながら、芸の上ではお互いを信頼している。その描写が緊張感あふれ、胸を打つ。有吉佐和子は芯のある人を描かせると比類ない。演劇ファンにお勧めの一冊。

スローターハウス5

カート・ヴォネガット・ジュニア「スローターハウス5」

ドレスデン空襲を中心に据えながら、物語はずっとその周囲を飛び回る。

米国兵のビリー・ピルグリムは、時間を超えて人生の断片を行き来しながら生涯を送る。欧州戦線から、戦後の穏やかな日々、時間という概念を超越した宇宙人が住むトラルファマドール星まで、場面は脈絡無く飛んでいく。
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イトウの恋

中島京子「イトウの恋」

明治の日本を旅し「日本奥地紀行」を記したイザベラ・バード。その通訳、伊藤亀吉(実在の人物は鶴吉)の恋という、よくまあそんなマニアックな所に目をつけてフィクションの題材にしようと思ったものだというのが第一印象。名著「日本奥地紀行」そのものとは比ぶべくもないけど、予想以上に面白かった。伊藤が晩年に記した手記が見つかったという設定で、明治と現代の男女の物語が巧みに進められていく。一回り以上年の離れた異国人にひかれていく少年の焦燥感は、知識への渇望と重なって、切なくも瑞々しい。