魔境アジアお宝探索記

島津法樹「魔境アジアお宝探索記 ―骨董ハンター命がけの買い付け旅」

フィリピン、タイ、ベトナム、インドネシア……陶磁器、古銭、黄金仏から隕石まで、骨董ハンターの買い付けの旅。各国の骨董商やディーラーとの騙し合いも面白いけど、まだ見ぬ品々を見つけるために密林の小さな集落や遺跡の発掘現場を訪れるくだりが特に面白い。戦利品を国外に持ち出そうとする場面もスリリング。然るべき由緒がついていれば重文や国宝級であっただろう品が次々と登場し、現代の冒険小説のよう。断片的なエピソードが中心で少し物足りないが、こんな世界があったのかという新鮮な驚きを久しぶりに感じさせてくれた一冊。

売笑三千年史

中山太郎「売笑三千年史」

神代から明治まで、売笑の歴史を総覧する大著。

膨大な史料を引用し、宗教的行為としての売色から始まり、巫女から巫娼へ、そして遊行婦、浮かれ女、白拍子、娼妓、芸妓……とその変遷を辿っていく。ただの性産業の歴史ではなく、婚姻形態の移り変わりや、武士の台頭など社会の変化を映し出していて興味深い。
“売笑三千年史” の続きを読む

クレイジー・ライク・アメリカ

イーサン・ウォッターズ「クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか」

「心の病」とその治療法は世界共通なのか。共同体や文化、時代に属するものではないのか。

著者は、香港での拒食症の流行や、日本における「うつ病」キャンペーンなど大きく四つの事例を挙げ、欧米流の精神医学の輸出の弊害を告発する。

欧米においてもボーア戦争や南北戦争など、時代によって心の反応は違っていた。現在、地域固有の症状は姿を消しつつあり、欧米の精神医学が、世界各地で苦しみに意味を与えていた物語や考え方から人々を切り離す嵐となっている。
“クレイジー・ライク・アメリカ” の続きを読む

師父の遺言

松井今朝子「師父の遺言」

直木賞作家である著者の自伝だが、その多くを戦後文化の巨人(怪人?)、武智鉄二とのエピソードが占めており、一種の評伝ともなっている。あくまで思い出としての書き方で少し物足りない部分もあるけど、活動、発言の振幅が広く、なかなか実像がつかめない武智鉄二という人物の情熱、器の大きさ、そして何より人間らしい側面を最後の弟子という立場から綴っていて胸を打つ。“兄弟子”である扇雀(坂田藤十郎)とのやりとりも印象的。

浮浪児1945‐ 戦争が生んだ子供たち

石井光太「浮浪児1945‐ 戦争が生んだ子供たち」

戦後街に溢れたストリートチルドレンがどう消えていったのか、彼らがその後どのように生きて来たのか、あまり語られることのなかった浮浪児の戦後史。当然それは一括りに一般化して語れるものではなく、あくまで個人の物語を積み上げる作業となる。

地下道での生活、闇市での仕事、テキヤ、ヤクザ、パンパンとの交流、孤児院、脱走、そして経済発展……

ここに語られているのは主に東京大空襲と上野の町の記憶だが、戦後の日本全体、さらには現在の世界各地の都市に通じる普遍性を持った証言でもある。

昭和天皇の終戦史

吉田裕「昭和天皇の終戦史」

国体=天皇制を維持するために人々がどう動いたのか。米国の利益と宮中の利益の間で展開される工作はスリリングで、読み物としても引き込まれる。戦争責任、という問いの立て方は不毛な議論に陥ってしまうが、著者はそれを避けつつ、主戦論者だけでなく、理性的な平和主義者の顔をした「穏健派」も告発する。

世界しあわせ紀行

エリック・ワイナー「世界しあわせ紀行」

幸福の探求は不幸の主たる原因の一つ。それを承知で著者は“幸せな土地”を求める旅に出る。

GNHを掲げるブータン、税金の無いカタール、極寒のアイスランド、マイペンライのタイ、インドのアシュラム……

幸せな人と不幸な人を分ける境はどこにあるのだろう。そしてそれに社会制度や文化、風土が影響を与えるのだろうか。そもそも幸福こそが最も価値あるものなのか。
“世界しあわせ紀行” の続きを読む

葭の渚

石牟礼道子「葭の渚」

石牟礼道子の自伝。といっても内容は「苦海浄土」を書くまでで、幼い頃の描写が多くを占める。

天草の海、零落した家、避病院と火葬場近くの新居、気がふれた祖母のおもかさま、早世した伯父、戦争、戦災孤児の少女との出会い……

悲惨な体験も著者の語りにはどこか光が差している。
“葭の渚” の続きを読む

黙阿弥

河竹登志夫「黙阿弥」

河竹黙阿弥の評伝だが、天覧劇を巡る関係者の思惑など、江戸~明治の大変動期を描いた読み物としても無類の面白さ。

時代の転機は歴史上数あれど、これほど短期に、作為的に文化の変革が試みられたことは少ない。義太夫や花道は陋習なのか。歌舞伎は荒唐無稽なのか。演劇改良運動など、歌舞伎のあり方をも一変させようとする欧化の嵐の中で、江戸を代表する作者は嵐を黙してやり過ごし、引退を元の木阿弥として死ぬ直前まで書き続けた。
“黙阿弥” の続きを読む