薄情

絲山秋子「薄情」

舞台は群馬。地方都市の郊外。タイトルに「薄情」とあるのは、主に語り手の宇田川静生の感情の起伏の無さ、人間関係の粘りの無さを表しているが、物語が展開する農村と市街地の境界の、景色の密度、人間の密度の薄さもその言葉にどこか重なる。
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未明の闘争

保坂和志「未明の闘争」

 

川端康成の「雪国」の冒頭を、頭の固い(センスのない)国語教師が添削すると、「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった」と、「そこは」を補ってしまうというような話をどこかで聞いたか、読んだことがある。表現において「正しい日本語」というのはなく、小説や詩歌は言葉の地平を広げる。

それにしても、この保坂和志の小説はすごい。

“明治通りを雑司ケ谷の方から北へ池袋に向かって歩いていると、西武百貨店の手前にある「ビックリガードの五叉路」と呼ばれているところで、私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた。”

というのが冒頭の文章だが、「私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた」は明らかに助詞の使い方がおかしい。そしてこれよりもっとアクロバットな文章が頻出する。
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あなたの人生の物語

テッド・チャン「あなたの人生の物語」

寡作なSF作家、テッド・チャンの短編集。表題作など8編。ファンタジー的な「バビロンの塔」から、「アルジャーノンに花束を」を連想させる「理解」、差別の問題を扱った「顔の美醜について」まで、題材、趣向はさまざまだが、科学、言語、倫理、宗教などのもたらす世界観の相剋が物語の根底にある。
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小説の自由

保坂和志「小説の自由」

小説をどう書くか、小説をどう読むか、そもそも小説とは何か、という問いを巡る文章は古今東西繰り返し綴られてきた。著者の小説を読んだことがあれば、そもそも論旨明快な小説論を期待して本書を手に取ることはないだろうが、完成された評論というより思考の記録といったほうが近い。つまり、ひと言ではまとめられない。
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ドサ健ばくち地獄/新麻雀放浪記 申年生まれのフレンズ

阿佐田哲也「ドサ健ばくち地獄」
「新麻雀放浪記 申年生まれのフレンズ」

   

戦後を代表する大衆小説で、青春小説、ピカレスクロマンの金字塔「麻雀放浪記」。「ドサ健ばくち地獄」と「新麻雀放浪記」はその続編にあたり、時代は「麻雀放浪記」の数年後と十数年後。それぞれ、ドサ健を取り巻く人間模様と、40歳になった坊や哲が、若い“ヒヨッ子”の師匠になる話が綴られる。
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