著者は言うまでもなく「よこはま・たそがれ」などで知られる作詞家で、作家としても多くの作品を残している。本書収録の表題作と「老梅」で直木賞を受賞。他に「貢ぐ女」「弥次郎兵衛」が収録されている。
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草の上の朝食
デビュー作「プレーンソング」の続編。続編と言っても、前作に物語がなかったのだから、そこに付け加えるべき新たな展開もない。成り行きで同棲している男3人、女1人。近所の野良猫に餌をやったり、競馬場に行ったり、マイペースな4人のとりとめのない日常が続く。
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深夜航路 午前0時からはじまる船旅
「深夜航路」というタイトルだけで旅情をかき立てられる。
夜行フェリーほど、旅をしている、という感覚を味わわせてくれる乗り物はない。フェリーに限らず、列車でもバスでも夜行には不思議な魅力がある。景色が見えないのになぜ旅の感慨がわくのか。そして、昼間の移動より記憶に残っていることが多いのはなぜだろう。
景色が見えないからこそ、なのかもしれない。著者も書いているように、夜の旅は内省的になる。内省する時間は自由の感覚とも結びついている。
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バンコクドリーム 「Gダイアリー」編集部青春記
「日本の恥!」と駐妻たちに目の敵にされた伝説の雑誌、という帯の文句が目を引く。1999年にバンコクで創刊された日本語月刊誌「Gダイアリー」は、ジェントルマン(紳士)の日記という名前の通りというか、裏腹にというか、夜遊びネタの豊富さで知られたが、一方で下川裕治や高野秀行といった作家の文章や硬派なルポも載る総合誌だった(らしい)。
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戯曲 福島三部作
第一部「1961年:夜に昇る太陽」、第二部「1986年:メビウスの輪」、第三部「2011年:語られたがる言葉たち」の三部からなる戯曲。戦後、福島の歩んだ半世紀が、ある家族の物語に重ねて描かれる。
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未明の闘争
川端康成の「雪国」の冒頭を、頭の固い(センスのない)国語教師が添削すると、「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった」と、「そこは」を補ってしまうというような話をどこかで聞いたか、読んだことがある。表現において「正しい日本語」というのはなく、小説や詩歌は言葉の地平を広げる。
それにしても、この保坂和志の小説はすごい。
“明治通りを雑司ケ谷の方から北へ池袋に向かって歩いていると、西武百貨店の手前にある「ビックリガードの五叉路」と呼ばれているところで、私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた。”
というのが冒頭の文章だが、「私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた」は明らかに助詞の使い方がおかしい。そしてこれよりもっとアクロバットな文章が頻出する。
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グレープフルーツ・ジュース
オノ・ヨーコの詩集。想像してごらん、と呼びかけるジョン・レノンの「イマジン」は、「グレープフルーツ」として1964年に出版されたこの詩集に着想して書かれた。
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ジョバンニの父への旅/諸国を遍歴する二人の騎士の物語
別役実「ジョバンニの父への旅/諸国を遍歴する二人の騎士の物語」
「ジョバンニの父への旅」はタイトルから連想されるように宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を下敷きとしている。
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資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐
マイケル・ハート、マルクス・ガブリエル、ポール・メイソン、斎藤幸平編「未来への大分岐」
富の偏在や利潤率の低下などで資本主義は限界を迎えつつあるが、人類はまだ次の社会のあり方を見出せていない。同時に、20世紀を通じて育まれた相対主義の弊害を克服する道筋も見つけられていない。
マイケル・ハート、マルクス・ガブリエル、ポール・メイソンの3人と、カール・マルクスの再解釈で高い評価を受けた気鋭の研究者の対話集。討論と言うより、それぞれの思想、問題意識をかみ砕いて説明するような内容で、議論に入りやすい。
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南へ/さよならだけが人生か
舞台は日本を出て南へ向かう船の上。乗客と船員のとりとめのない会話が続く。乗客たちは日本を捨てていくようだが、その背景は説明されない。南に何があるのかも。船の上では、だらだらと弛緩した時間が流れる。会話にはユーモアが散りばめられているものの、そこに漂う空気はどこか暗い。
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